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今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月21日(火)07時23分19秒
返信・引用
  「金足の雑草ならば欲しい草。」(金足農業高校の決勝戦進出でファン急増)  

関西のヒマジンさんの投稿に対して

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月20日(月)08時16分40秒
返信・引用
  ノモンハン事件の事はまだ解明されていないこともあるようですね、半島さんのも超高齢。
史実を残して欲しいとおもいます。お体の許す限り。
 

歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月20日(月)07時51分2秒
返信・引用 編集済
  沼南ボーイさん

終戦の日の15日(2018・8・15)NHKが特集でノモンハン事件を取り上げていました。新たに入手した、戦後間もなくに、アメリカ(軍)が事件の関係者に取材したインタビューも含まれた事件の概要でした。

ノモンハン事件については、半藤さんの「歴史と戦争」にもとりあげられており、その一部を引用して、当欄に投稿したところです。

半藤さんが指摘している通り、当時の関東軍の参謀の作戦の甘さと無謀さは目に余るものがあります。
未曽有の犠牲者を出したにもかかわらず、だれも責任を取ろうとしていないことが、新たに提供されたアメリカ側の資料からも明らかになりました。

半藤さんが「歴史と戦争」で最も言いたかったことは、沼南ボーイさんが指摘された点だと思っています。

安倍さんからは、戦前回帰のニオイがしてなりません。
安倍さんはしたたかで、世論の動向をよく読んでいます。

モリカケ問題は多くの疑問を残したまま、政治の場から消えようとしています。

私はこのことを忘れないし、選挙の際には候補者の美辞麗句に惑わされず、政策をしっかりと見極めて、投票しようと思っています。
 

歴史と戦争

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月20日(月)04時56分18秒
返信・引用 編集済
  関西様の歴史と戦争の紹介が終了した。長い間ありがとうございました。「あきらめ」が戦争を招く。この言葉が歴史の教訓と思います。現政権にもあてはまると思います。モリカケ問題における、高級官僚の安倍首相への忖度疑惑、丁寧な説明を口先だけで逃げる、安倍首相などへの追及、監視我々国民はあきらめていけないと思いを強くしました。関西のヒマジンンさん、力作、引用ご苦労様でした。  

朝刊の短歌

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月19日(日)16時53分11秒
返信・引用
  「砂浜のぐみで始まる新潟市民歌めぐみさんまだ歌えるだろうか。」。(「砂浜で小さなぐみの木」なる市民歌記憶に残っていてくれと。)  

今朝の俳壇

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月19日(日)14時27分11秒
返信・引用 編集済
  「科のごと耐へるしかなき残暑かな」(まるで自らの科の如く耐える残暑。自らへの謙虚な存問の一句である。)  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月19日(日)13時03分8秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

「あきらめ」が戦争を招く

戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではない。
長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに起こるものなんである。
漱石が「吾輩は猫である」8章でいうように、「すべての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊とうである」

つまりでっかい事件にのみ目をくれているのはみずからが落とし穴に落っこちるみたいなもの、日常坐臥においておさおさ注意を怠ってはならないのである。
そのつどプチンプチンとやらねばならない。・・・
いくら非戦をとなえようが、それはムダと思ってはいけないのである。
そうした「あきらめ」が戦争を招き寄せるものなんである。(終わり)


※最近、半藤さんを雑誌や新聞で見ないなと思っていたら、もう88歳になられたんですね。

半藤さんの著作の集大成を読んでみて、最近の政治の動きが戦前のそれと似通ったところがあるなと思えてなりません。

半藤さんの持ち前のユーモアに加え、人間味あふれる人となりは、少年時代から青年時代にかけて日中戦争や太平洋戦争を経験し、修羅場を潜り抜けて、辛酸を嘗めてこられたからだと思っています。

今後も、歯切れの良い語り口で、世相をバサッと切って欲しいものです。

*お盆期間中はスポーツジムが休みでした。
その間、運動しなかったので2キロ強太りました。
明日から、ジムに通って元に戻します。
 

朝刊の俳句

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月19日(日)10時41分11秒
返信・引用
  「閉山の町をメロンでお興しけり。」(かって炭鉱都市だった夕張は閉山後メロンの町として復興した。)  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月19日(日)07時14分35秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

朝鮮戦争〝特需〟とは

なぜ特別需要かと言いますと、それまでの日本とGHQの関係からすれば、GHQが必要なものはまず日本政府に依頼し、日本政府が予算に組まれた終戦処理費の中からそれらを調達していました。
たとえばビタミン剤なら、何ケース必要かGHQから指示された日本政府が、予算調達費から薬屋に金を払って購入してGHQに渡す、というパターンでした。
ところが、この時は、政府を間に挟まずにGHQが直接、業者からジャカスカジャカスカとモノを調達する。
だから〝特別需要〟といわれたのです。

こうして朝鮮戦争がはじまると同時に、たとえば蔵前橋の西側、蔵前工業高校跡(後に旧・蔵前国技館となる)に山のように積まれてあった戦災後未処理の焼けトタンが、あれよあれよと軍需用品としてなくなってゆき、2か月で一掃されました。


朝鮮戦争と日本国

深刻な不況で頭を抱えていた日本経済にとっては、隣国の不幸な戦闘という現実が、天から降ってきた救いの神となった。
何しろ日本は国連軍の前進補給基地であると同時に国連空軍の攻撃発信基地であり、さらには兵站基地と化した。
要するに弾薬や食料の輸送はもとより、戦争で負傷した兵隊さんの治療や兵器の整備をする拠点となった。
いうなれば「沈まない大航空母艦」です。
アメリカ軍はそんな日本を思う存分利用してバカスカやれたわけですな。


スエズ動乱も「神風」になった

朝鮮戦争がそうであったように、スエズ動乱も日本経済にとっては「第二の神風」になりました。
すでにかなり景気がよくなった時期の世界的動乱、しかも遥か遠い場所ですから直接的には被害も受けません。
たいへんな儲けを生み、好景気にさらに弾みがついたのです。

まったく戦争というのはいつの時代でも儲かるのです。
新聞雑誌もそうです。
だから変なことを考えるやつが絶えないのです。(続く)
 

朝日歌壇

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月19日(日)05時48分10秒
返信・引用
  「少しスマホを止めて新聞読めば変わるよ日本の政治」(高野公彦選、スマホの功罪を詠んだもの。次歌とあわせて。「スマートフオンー持たぬ暮らしは文語体旧カナの歌で通すのに似る。」  

森下(千々岩)禮子さん脚本の劇

 投稿者:トト  投稿日:2018年 8月18日(土)21時35分51秒
返信・引用
  われらがアイドル森下(千々岩)禮子さんの執筆した脚本の劇「佐賀の陽気な女房たち」(原作シェークスピア)が、またまた佐賀の佐賀市文化会館ホールで開演されます。シェークスピアを懐かしの佐賀弁で愉しむ、誠にまあ、素晴しい、というの外ありません。

詳細は、下のチラシをご覧ください。
しかしまあ、このチラシもまたとてもユニークですねえ!
 

nhk思い出のメロディ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)20時33分17秒
返信・引用
  50回の記念番組だそうだ。今見ている。菅原都〃子さんも歌っていた。94歳だそうだ、連絡船の歌を歌いきった。エライ者だ。  

(無題)

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)17時10分23秒
返信・引用 編集済
  『爽やかに去るボランティア」3日ぶりに奇跡的に見つかっ」2歳児」(76歳尾畠さん)  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月18日(土)17時06分39秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

戦後がはじまったとき

戦争に負けた日本の都市は、どこにいっても焼け野原といっていい状態でした。
東京、大阪、名古屋、神戸、横浜の5大都市をはじめとして、地方の県庁所在地と思われるところはほとんど爆撃を受けています。
なんのためにこんなところまで焼いたのかと抗議したいくらいの無差別爆撃で、約90都市がやられ、戸数にしますと236万戸が焼失、罹災した人はーーわたくしもその一人ですが、840万5千人といわれています。
このほか、たとえば一家全滅になったり、爆弾で骨も残らず吹っ飛んだりして、数えることもできないこともあったと思いますから、正確な数字は出てきません。
そういう惨たる状況下で戦後日本ははじまったわけです。


「引き揚げ」の名のもとに

満洲・朝鮮に約100万人、中国に約110万人、南方諸地域に約160万人の合計370万人もの陸海軍将兵や軍属は、粛々と日本国土に還ってきた。これを「復員」といった。
さらに、中国や満洲その他の外地には多くの居留民がいた。
その数約300万人、これら多数の老若男女が、「引き揚げ」の名のもとに、まったく保護なしに母国へ帰ってきた。

国家に見捨てられた引揚者の、帰国するまでの労苦は筆舌尽くし難く、世界史上にもこれほどに苦難の祖国帰還の例はない。
とくに幼い引揚者の疲れ切った姿には、戦争の残酷さ、残忍さというものを強く突きつけられ、出迎えた人々の涙を誘ったという。(次回は朝鮮戦争)
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)13時21分38秒
返信・引用
  「球児たち昨日泣かせて今日は泣き」(勝って敗れて甲子園)  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)11時46分1秒
返信・引用
  「集まれば墓の守り手ないはなし。」(お盆の愚痴)  

朝刊の川柳8月18日」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)09時56分2秒
返信・引用
  「少子化を台風一家高笑い」(多産な今夏)  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月18日(土)07時27分47秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

非人間的になること

20数年、戦争を知らない世代の成長とともに、過去は過去として葬らしめよ、という声も聞くようになりました。
核兵器に対する考え方も日本人の心のうちで、位置を変えつつあるようです。
原爆はいま教科書からも抹殺されようとし、辛うじて保存された原爆ドームさえ、観光の対象になり下がろうとしています。
その原因は、決して長い歳月のせいだけではないように思われてなりません。

戦争の傷が癒えるとともに、いつか私たちの心のなかに、人間そのものから考えずに、機械や組織や権力や制度や数字といった人間とは別のものから考える傾向がうまれてきたためではないでしょうか。
非人間的ーーそのことこそがすなわち「戦争」なのであります。
いつ死んでも仕方がない。死ぬのがむしろ自然という状態は、生きていないことと同じことで、こんどの戦争は死の体験を与えてくれましたが、同時に私たちはどのくらい非人間的になれるかということも教えてくれたはずでした。
にもかかわらずいま、忘れられようとし、または風化しようとしている。


餓死者70%

ここに厳粛なる事実を語らねばならない。
大本営の学校秀才的参謀どもの机上でたてた作戦計画のために、太平洋戦争において陸海軍将兵(軍属も含む)は240万が戦死した。
このうち広義の飢餓による死者は70%に及ぶのである。
あまりに手をひろげすぎたために食料薬品弾丸など補給したくても、とてもかなわぬお粗末さ。
わが忠勇無双の兵隊さんは、ガリガリの骨と皮となって無念の死を死ななければならなかった。(続く)
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)06時42分59秒
返信・引用
  「冷や飯が殺し文句の祖再選。」(脅しと締め付け)  

朝刊の川柳8月18日」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)05時48分51秒
返信・引用
  「そそくさと追悼すませさーゴルフ」(心はグリーン)  

朝刊の川柳8月17日

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)03時19分7秒
返信・引用
  「おことば聞いている振りの安倍首相」(戦後73年追悼式)  

8月17日の朝の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月18日(土)03時09分26秒
返信・引用
  「平和の語重さ異なる人ごとに」(例・天皇と首相)  

言の輪56号「ほおずき」発刊

 投稿者:ひまじん  投稿日:2018年 8月17日(金)21時13分46秒
返信・引用 編集済
  今日、お隣の言の輪の56号「ほおずき」が発刊されました。

いつものように、エッセイ、小説、CW、短歌、俳句、と多彩に掲載されています。

興味のある方は、言の輪の作品集に掲載しますのでご覧ください。

冊子をご希望の方は、トトシカーナさんまでご連絡ください。
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)21時07分36秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

マッカーサーの日本占領構想

マッカーサーは7時間の飛行中に、頭に浮かぶ日本占領構想を口述している。
「軍事力を破壊しつくす。婦人に参政権を与える。政治犯人を釈放する。農民を解放する。自由な労働運動を確立する。自由にして責任ある新聞を発展させる。・・・」

敗戦国民のたどる長い苦難の道はこれからはじまる。

昭和天皇とマッカーサー

『マッカーサー回想記』にこうある。
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」

昭和20年9月27日、連合軍総司令官マッカーサー元帥と初めて対面したときの、昭和天皇の言葉である。
1901年生まれの昭和天皇と、1880年生まれのマッカーサー、簡単に理解し合えるとは思えない。
しかし、この言葉にマッカーサーはただもう感激し、天皇を一途に尊敬したという。

マッカーサーが解任され日本を去るまでに(昭和26年)、天皇・マッカーサー会談は11回。憲法、共産主義の脅威、国防、食料、巡行など大事な問題はすべて話し合われた。戦後日本は天皇とマッカーサーのいわば合作である。といってもいいかもしれない。
(続く)
 

クイズ

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)20時04分51秒
返信・引用
  沼南ボーイさん
問1「動」、問2「説」いずれも正解です。

問2はいろんな熟語が頭に浮かんできますよね。
 

クイズ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)19時46分6秒
返信・引用 編集済
  問い2、「説」。伝説、小説 説明 説得  

クイズ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)19時35分37秒
返信・引用 編集済
  問い1、「動」運動、動物,動力 行動
 
 

脳トレ

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)11時18分1秒
返信・引用
  今日は久しぶりに爽やかな天気です。

□に同じ漢字を入れて熟語を完成させてください。

(例題)
登□、裏□、□道、□上  答え □は山

問1
運□、□物、□力、行□

問2
伝□、□得、□明、小□
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月17日(金)10時04分33秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

満洲国をもったがために

満洲国という巨大な〝領土〟をもったがために、分不相応な巨大な軍隊を編成せねばならず、それを無理に保持したがゆえに狼的な軍事国家として、政治まで変質した。
それが近代日本の悲劇的な歴史というものである。

リンゴの唄を歌った女性歌手

並木路子は浅草生まれ、昭和13年に松竹歌劇団に入る。
東京空襲でみずからは九死に一生を得たが、一緒に隅田川へ飛びこんだ母親は遺体となって浮かんだ。
父親も南方で殉職死、次兄は千島列島で戦死。
たたみかける戦争の痛みを抑えて、彼女は懸命に歌ったのだという。
そんな悲しみがあったことも知らず、人々は明るい声に耳を傾けたが、よく聞くと、徹頭徹尾悲しい歌であると思えてくる。(関ヒマ注 リンゴの唄 昭和20年 作詞サトウハチロー 作曲万城目正)

「一億総懺悔」が戦後日本に与えた影響

「一億総懺悔」は、そう影響がなかったと言う人もいますが、その後の日本人の精神や日本の歩みを見ても必ずしもそうではないように思えるんです。
みんなして悪かったんだからお互いに責めるのはよそうじゃないかという「なあなあ主義」につながりもし、同時に、この言葉のなかに、トップ層の、結局は戦前戦中と変わらない国民指導の理念が垣間見えるからです。
つめりこれが、「戦後どういう日本をつくるか」をわれわれがしっかり考えるための大きな障害になったと言いますか、むしろわれわれにそれを考えさせないようにした、という気がするんです。
そしてこの先、皆がなんとなしに「そういうもんか」と、責任を追及しなくなったような印象があるのです。(次回はマッカーサー)
 

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)07時48分40秒
返信・引用
  「お言葉の深い反省聞き納め」(戦後73年追悼式)  

かたえくぼ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)06時10分25秒
返信・引用
  「 たばこ値上げ」 無限に続くかも~メビウス 」  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)05時46分56秒
返信・引用
  「投入を延ばしごまかすいつもの手」(辺野古に土砂知事選があるので、国が様子見の為延期)  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月17日(金)05時34分22秒
返信・引用
  「終身を首相も言い出しそな気配」(悪い冗談です)--冗談が本当にならいように。  

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)20時56分12秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

シベリア抑留のはじまりは

歴史的事実としていうならば、8月16日にトルーマンに宛ててスターリンが手紙を出しています。
その手紙は何かというと、北海道を半分くれという手紙でした。
「・・・北海道島の北半と南半との境界線は、島の東岸にある釧路市から島の西岸にある留萌市にいたる線を通るものとし、右両市は島の北半にふくめること」と。
トルーマンは「とんでもない。断固としてノーだ」と、これを蹴った手紙は8月18日付けでした。

これに対しスターリンは、8月22日付けで、不満タラタラの手紙を再度トルーマンに送ります。
それでスターリンが何を考えたかというと、シベリア抑留なんですよ。
ソ連極東軍総司令官ワシレフスキー大将に極秘の命令「捕虜に関する実施要項」を発したのが8月24日でした。
いちばん大事なところを紹介しましょう。
「旧日本軍の軍事捕虜のうちから、極東とシベリアの気象条件のなかで労働可能な身体強健な捕虜を、最低50万人選抜せよ」

これがシベリア抑留のはじまりでありました。(続く)
 

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)18時47分8秒
返信・引用
  「大統領制選ぶ時期来た日本国」(国民の意思を直接反映)  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)16時47分22秒
返信・引用 編集済
  「弔問はモリカケよりも丁寧に」(山口での首相動静)

 

関西様

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)12時06分5秒
返信・引用
  ありがとうございました。石を右と読んでいました。  

大田中将の電文

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)11時23分6秒
返信・引用 編集済
  昨日投稿の「沖縄県民斯ク戦ヘリ」から、大田中将の電文を掲載します。


大田実中将の電文

(備考)1945年6月6日、米軍の激しい攻撃にさらされ孤立した沖縄戦司令部から本土参謀本部へ発信。当時決別電文の常套句であった「天皇陛下万歳」や「皇国ノ弥栄」などの文言はいっさいなく、ひたすら沖縄県民の献身と健闘を称えている。なお大田実中将は、下記電文打電後、自決。


大田実(最終階級:沖縄根拠地隊司令官)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%...


【現代口語訳】
 沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。


 敵が沖縄本島に対し攻撃を開始して以降、帝国陸海軍は防衛戦に専念し、県民の保護に関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集にすすんで応募。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれながらも、ただ着の身着のまま軍の作戦の邪魔にならないよう狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも、風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。


 しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
 どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
 看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
 さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜のうちに遥か遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。


 つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして、草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
 食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。


 沖縄県民はこのように戦い抜いた。
 県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。
 

御厨東大名誉教授の説

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)11時20分55秒
返信・引用
  前文にひき続き文春9月号より引用します~9月の総裁選で安倍首相が3選を果たしても、いつかは自身が次にバトンを渡さなければならないときが必ずやってきます。安倍首相はまだ63歳です。ポスト安倍には61歳の岸田氏や石波氏はほぼ同じ世代であり交代のインパクトは殆どありません。(一部編集)一気に55歳の河野太郎氏あるいは37歳の小泉新次郎氏まで若返ることを図ることを考えているかもしれません。  

沼南ボーイさん

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)11時06分2秒
返信・引用 編集済
  WIKIPEDIAなどを引用しました。

石内 都(いしうち みやこ、1947年3月27日 - )は、日本の写真家。

群馬県新田郡生まれ、横須賀市で育つ。横須賀市立第二高等学校卒業。多摩美術大学デザイン科入学。大学2年より染織専攻中退。1979年、写真集「APARTMENT」および写真展「アパート」にて第4回木村伊兵衛賞受賞。1999年、第15回東川賞国内作家賞、第11回写真の会賞受賞。2006年、日本写真協会賞作家賞受賞。2009年毎日芸術賞受賞。2013年紫綬褒章受章。2014年、日本人としては濱谷浩、杉本博司に次いで3人目のハッセルブラッド国際写真賞受賞。
1994年、グッゲンハイム美術館での「戦後日本の前衛美術」展に招待された。ヴェネツィア・ビエンナーレの2005年日本代表。2015年、The J. Paul Getty Museumにて個展「Postwar Shadows」を開催。

皮膚や衣類と時間とのかかわりをテーマにした写真を撮り続けており、代表作に広島原爆で被爆した衣類を被写体とした「ひろしま」、フリーダ・カーロの遺品を撮影した「フリーダ 愛と痛み」など。ニューヨーク近代美術館等に作品が収蔵されている。

写真家の石内都は、1945年8月6日の広島の原爆で被爆した人たちの遺品のなかから肌身に直接触れたものを中心に選び、ライフワークとして撮影を続けています。
 

関西さま

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)10時49分27秒
返信・引用
  グーグル検索は故あって使っていません。「右内都」の説明と「ひろしま」について疑問にお答え願います・  

御厨實東大名誉教授の言

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)09時04分37秒
返信・引用
  そもそも今回の問題(モリカケ問題や公文書改竄疑惑、安倍首相への忖度疑惑等)で独自に情報を手にいれた野党は共産党だけで、あとは朝日新聞のスクープを待っていてそれが掲載sれるとろくに自分達で調べもしないで国会にもっていくわけです。しかし、与党は新聞に記事が出る頃には研究していて、どうやって切り抜けるかは十分に考えている。とりわけひどかったのは、「モリカケ問題」で設けられた野党ヒヤリングで立憲民主党の議員が若手官僚をどなり散らし憂さを晴らすような行為を繰り返したことでした。これをテレビで見た有権者が、問題の所在は自民党にあるにせよかっての民主党 ダメ イメージをそこに重ねたであろうことは想像に難くありません。(文芸春秋9月号安倍政権をSNSとダメ野党が救う。より引用)~真剣に、丁寧に議論してもらいたい。  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)08時10分40秒
返信・引用
  『歯がゆさは一票もたぬ総裁選」(皆そう思っていると想像します)  

半藤一利氏の本の紹介

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)08時02分10秒
返信・引用 編集済
  旅人ーM様、沼南ボーイ様、読んでいただいて有難うございます。
もうしばらく続けさせていただきます。

沼南ボーイ様の石内都さんに関するご質問の件ですが、「石内都」でGOOGLE検索すれば出てまいります。
 

関西様の投稿

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)07時44分2秒
返信・引用
  半島一利さまの著書の紹介楽しみに愛読しています。今朝6時過ぎの投稿の「右内都さん云云?}何でしょうか?  

朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)07時31分36秒
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  「防衛費過去最大にして終戦日」(連続して額増加)  

シッカリ・・・読ませて貰っています・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2018年 8月16日(木)07時25分18秒
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  関西のヒマジン さま・・・

半藤一利氏の『歴史と戦争』の連日の書き込み・・・ボリュームもあり、大変な労力と察します。

心に響く内容、文面で、
連日、シッカリ読ませて貰っています。

是非、納得の行くまで、書き込みを続けて下さい。
 

半藤一利 歴史と戦争

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)06時48分20秒
返信・引用
  歴史と戦争から引用します

原子爆弾がつくられて

爆弾は敵にたいし使用するためにつくる。威力や大小を問わない。敵を殲滅するために使う。それ以外のどんな意味があるというのか。
たしかに巨大な工場の建設のために12万5千人の労働者が必要であった。
この工場を稼働させるためにはさらに6万5千人。
あるだけの頭脳と技術と汗とを投入した。
こうして、20億ドル以上の巨費を食った「怪物」がいまできようとしている。

ヒューマニズムとかモラルとか、ましてや人に情けとかがそこに入りこむ余地はない。
人類はじまっていらい、およそ戦争というものはそういう凶暴なもの非情なものであると、だれもがそう思うことで軍人たちは自分の心を納得させていたのである。
日本人はそれを、まったく、知らないでいた。


かくて原子爆弾は落とされた

戦争という〝熱狂〟は、人間をやみくもに残忍、愚劣にして無責任へとかりたてるものなのであろうか。いや、途轍もなく強力な新兵器を、膨大な資金(20億ドル)と莫大な労力(合計すると50万人)をかけて造りあげたとき、それを使わないほうがおかしい、と、そう考えるのが人間というものなのか。


石内都さんが撮った「ひろしま」

焼け爛れて変質したメガネのガラスは原爆の熱線の凄さを語っていますが、むしろ驚かされるのは若い女性があの朝、身につけていた衣類の数々です。・・・

アメリカが原爆の実験場にするために、その日の朝まで無傷にとり残していた都市広島は、米軍の本土上陸を迎え撃つための第二総軍司令部のおかれた軍都でしたが、同時に豊かなモダン都市でもあったのです。
写真からその街に暮らす人びとの、その直前まで営まれていた丁寧な穏やかな暮らしぶりが透けて見えてきます。
そして衣類や小物たちは、今なお私たちに原爆の悲惨さを無言のまま問いかけてくるのです。
いったいなぜこんな戦争をしてしまったのかとーー。


果て知らぬ死者の列

生命のなかに、目には見えないが否定できない〝死〟を抱いた人間が、どのような不安と苦痛のうちに日々を生きているのか、その人以外に正確には知ることができない。
それは8月6日に襲った(地獄)とは違うもう一つの(地獄)であるに違いない。
〝あの日〟広島や長崎にいた人たち、あるいは救援におもむいた人たちは、一人ひとりが被爆者健康手帳をもっている。
その数は日本中で33万9423名という。
この人たちは、年齢ではなく、爆心地からの距離で人生を測るのである。
突然に襲う(死)の予感におびえながら。

たとえば広島市を例にとろう。
昭和40年728名、41年1121名、42年は1135名、43年2311名、44年1333名、45年1148名、46年1150名・・・・と、8月6日の死者は果てしらぬ行列をつらねている。
各県からの報告がないため正確なことはわからないが、これが日本全国の人びとあるいは各外国人をふくめれば、と思うとき背中にしびれが走る。

不安と不眠の幾千の夜をつみかさねたあげく、いま、一見してなんの異常もない日々を過ごしているある被爆者がいる。
もう50歳をこえたその婦人は、堅固な生活をつくりあげているのであるが、ときおりはかりしれない倦怠感におそわれて、ふとつぶやくという。
「もう一度原爆が落ち、それも無数の原爆が落ちて、この世界が破滅してしまえばいいのだ」

これに答える言葉を、われわれはもっていない。(続く)
 

千鳥ヶ淵日本武道館

 投稿者:関西のヒマジン  投稿日:2018年 8月16日(木)06時42分32秒
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  昨日は全国戦没者追悼式の実況中継をテレビで見ました。
天皇陛下の最後のお言葉を聞き胸が熱くなりました。
 

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年 8月16日(木)05時56分24秒
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  「奥方も涼しい顔でもう三年。」(悪い冗談)このようなる可能性大であり危惧してます。  

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