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今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月12日(水)05時57分50秒
返信・引用
  1901年明治34年の今日マルコーニが大西横断の無線に成功しあ、  

「今日の会話」

 投稿者:トト  投稿日:2018年12月11日(火)15時35分33秒
返信・引用 編集済
  わが家の雄猫虎太郎が、午前中ニャアニャア鳴きながら走りまわっていました。

そのあと、うんちをして落ち着いたようです。

私・・・・「うるさく走りまわっていたけど、どうしたの?」

家内・・・「便秘だったみたいで、運動すれば出るだろうと思って、走りまわっていたみたいね、・・・ホントあたまいいわねえ!」

私・・・・「・・・・・・・・」

(私も時々便秘になるのですが、家内から常々、運動不足のせいではないかと指摘されているのです。)

 

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月11日(火)05時36分29秒
返信・引用
  -〔同じ日に同じいいわけをする医大。」(不適切入試3大学)

 

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月11日(火)05時30分48秒
返信・引用
  「1957年昭和32年のこの日100円硬貨が発行された。  

片えくぼ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月11日(火)04時39分11秒
返信・引用
  11月23日掲載分より
 「交付金なし。」----ストレートに効く
   ---ボクシング連盟
 

朝刊の片えくぼ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月10日(月)06時21分31秒
返信・引用
  「お金の使い道」
  ―-ー後学のため伺いたい。」---庶民---ゴーン殿
 

朝の川柳12月8日より引用

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月10日(月)05時45分35秒
返信・引用
  「12月8日生まれも喜寿になり。」「(日米開戦77年、作者94歳)  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月10日(月)05時31分23秒
返信・引用
  「1948年昭和23年の今日国連が世界人権デした。デーイを制定した。  

この先の道に消える

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2018年12月 9日(日)18時37分8秒
返信・引用
  中村文則氏の表題の本を読みました。
彼の小説は常に問題作であり、芥川賞はじめ米デイビッド・グラディス賞を受賞するなど世界でも絶賛されています。

難解な小説が多い彼の作品の一つなので感想が書きにくく、本の背表紙に書かれたものを引用します。

アパートの一室で発見されたある〝緊縛師〟の死体。
重要な参考人として名前があがる桐田麻衣子は、刑事富樫が惹かれていた女性だった。
疑惑を逸らすため、麻衣子の指紋を偽装する富樫。
全てを見破ろうとする同僚の葉山。
だが事態は、思わぬ方向へと突き落とされていく。
犯人は誰か?
事件の背後にあるものとは、一体何なのか。
やがて、ある〝存在告白〟が綴られた驚愕の手記が見つかりーーー。

この小説は最初に刑事富樫を第一人称の私として展開させます。
その後、刑事葉山を私として展開させています。
また、解説の中に〝緊縛師〟という耳慣れない言葉が出てきます。

緊縛師とは・・・。本の中から引用します。
「緊縛の歴史は・・・日本発祥で、侍達がいた江戸時代にさかのぼるようです。
罪人を縛る捕縄術が起源・・・。あらゆる流派が生まれて、罪状とか、罪人の身分などで、縛り方を変えたりしたんです。日本人は縛るという行為に異常なこだわりを見せる」
「罪人は見世物でしたから、縄で縛られた女性や男性に不思議な魅力が宿ることに、江戸の町の人達は気づくようになりました。彼らは曝されたから、人々は見上げる形にもなった。・・・縄での拷問もあった。自白を取るために縛る責め縄」
 

片おえくぼ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 9日(日)09時29分52秒
返信・引用
  入国管理法案審議
  お・もて・な・し
  さ。レ・て・な・い・

   ーー外国人労働者
 

朝日歌壇より。

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 9日(日)07時47分33秒
返信・引用
  「寒風のいまだに吹かねば干し柿はかびの予防の焼酎を浴ぶ。」佐々木幸綱選、歌評。干し柿作りの季節。仲仲寒くならない今年は手間が大変なのだろう。  

朝日俳壇より。

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 9日(日)07時10分19秒
返信・引用
  長谷川櫂、選、句評「一旦は命のを落ち葉かな」「一旦が深い。やがて命はよみがえる。よみがえれという祈り。」  

今日は何の日?12月9日

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 9日(日)05時31分29秒
返信・引用
  「1945年昭和20年の今日GHQが農地改革を指示。」  

朝刊の川柳12月8

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 9日(日)04時34分7秒
返信・引用
  「起立するだけの議員にウン千万。」(高報酬)  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 8日(土)07時26分30秒
返信・引用
  「引退させた力士が引退し。」(角界不祥事やまず。)  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 8日(土)05時31分27秒
返信・引用
  「1941年昭和16年の今日真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争がはじまった。

 

ゴーンウイズザマネー

 投稿者:taroメール  投稿日:2018年12月 7日(金)23時08分9秒
返信・引用
  今新聞で話題になっています。 日経夕刊12月7日 これ以外にも。  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 7日(金)06時20分44秒
返信・引用
  『箍外れ書きかえたいよな去年今年。」(平成最後の年の暮れ)  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 7日(金)05時33分17秒
返信・引用
  「1944年昭和19年の今日マグニチュウード7.9の東南海地震が起き、犠牲者は10、000人を超えた。  

携帯電話の通信障害

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 7日(金)05時09分52秒
返信・引用 編集済
  昨昼ソフトバンク社のケイタイ電話で広範囲の通信障害が起き、20、000台以上の携帯電話が不通になり、大きな影悪影響がでた。現在も正常ではないと報道されている。システムの不具合は大変具合が悪い。  

旅人ーМ様へ

 投稿者:ひまじん  投稿日:2018年12月 6日(木)19時27分22秒
返信・引用
  恒例の水曜お菓子作り教室、徐々に上級に近づいていますね。

来週は何に挑戦されるのでしょうか。
 

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)15時52分42秒
返信・引用
  「あの1件なけりゃすんなり行ったのに。」(類句多数あり。)  

朝刊の短歌

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)10時57分27秒
返信・引用
  「嘴にトンボくわえて来し鵙の枝に刺し置く冬遠からず。」  

今朝の朝刊の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)10時52分39秒
返信・引用
  「宮様も人の子の親知る会見「うなずいて読めるふりする句碑の文字」  

≪水曜・菓子つくり・教室・・・?≫

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2018年12月 6日(木)09時00分7秒
返信・引用 編集済
  昨日の≪菓子作り≫は、『パウンド・ケーキ』でした。
・・・と言っても、『パウンド・ミックス』を使用しての、簡単な自己流、『初歩教室』です。

今まで、≪オーブン・レンジ≫など使ったこともなかったので・・・
少し、焼き過ぎたようです。ケーキの表面の≪茶色≫が濃くなってしまいました。
味は良かったですね・・・材料のせいでしょう。

≪パウンド・ケーキ・ミックス・北海道小麦・100%使用≫(共同食品製)

(下準備)
1.バターは湯せん、又は電子レンジ対応容器に入れ、約10秒で溶かしておく。
2.卵は室温に戻しておく。
3.オーブン・天板を取り出し、170℃に温めておく。

(材料)
1.卵・・・・・・・・・・・・・・・Mサイズ・2個
2.牛乳・・・・・・・・・・・・・・大さじ・1杯(15ml)
3.バター(食塩不使用)・・・・・・・40g
4.パウンド・ケーキ・ミックス・・・1袋・145g(市販品)

(作り方)
1.『生地作り』
  ボウルに、1.卵をほぐして、2.牛乳を入れ、3.溶かしたバターと、4.パウンド・ケー   キ・ミックス粉を加えて、泡だて器で、約1分ほど、よくかき混ぜます。
2.『焼き方』
  焼き板に≪生地≫を流し込み、オーブンで、170℃にして、約、35~40分焼きます。
  竹串を刺して、濡れた生地が付いてこなければ、≪焼き上がり≫です。

  (市販の材料ミックスに、焼き板もついていました)
 

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)08時24分45秒
返信・引用
  「子供らを育む慈愛の曲を残し。」(「サッチャン」「いぬのおまわりさん。」の作曲者大中恩さん逝く」。)  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)06時10分6秒
返信・引用
  「人の金だろうが儲けりゃ俺のもの。」(官民フアンド高額報酬)  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)06時06分4秒
返信・引用
  「そのうちに たかなわ と皆呼ぶだろう。」(新駅名不評らし。)  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)05時32分13秒
返信・引用
  「194年大正3年の今日日本初の交響曲が山田耕作作曲「勝どき」が帝国劇場で発表された。  

片えくぼ

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 6日(木)03時56分2秒
返信・引用
  「青年よ大枚を抱け」----巨人軍フロント  

政治資金

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 5日(水)16時42分20秒
返信・引用
  12月5日の朝日社説より引用ーーー片山さつき地方創成相は収支報告書を4回も訂正した。問題が発覚しのてもあとから修正すれば許されるというのでは報告書の信頼は地に落ちる。「国民の不断の監視と批判の下に」置くことで「活動の公明と公正を確保」する。この政治資金法の原点をすべて政治家が見つめ直す時だ。----  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 5日(水)16時23分23秒
返信・引用
  「さつきじゃなくてこれじゃ嘘付き。」(収支報告また訂正)  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 5日(水)07時22分30秒
返信・引用
  「埋めた分だけ深くなる溝。」(辺野古土砂投入へ)  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 5日(水)05時32分19秒
返信・引用
  「1900年明治33年吉岡弥生が日本初の女子医学校した。後の東京女子医大を創立した。  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 4日(火)16時45分59秒
返信・引用
  「吹けば飛ぶような合意の山ばかり。(G20閉幕)  

参謀

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2018年12月 4日(火)16時40分36秒
返信・引用
  日本の軍隊では「参謀」が戦争の命運を決するような重要な役割を果たしてきました。
半藤さんは「参謀」を書記官型、代理指導型など6つの型に分類し、それぞれに、代表的な人物を紹介しています。

ノモンハン事件やガダルカナル島の戦いなどの辻政信、満州事変の首謀者の石原莞爾などを紹介していますが、ここでは石原莞爾の件を引用します。

長期構想型参謀 石原莞爾

長期的展望を持って国のあるべき姿を描ける参謀は、貴重な存在です。
企業にも同じことがいえると思います。
いわゆるビジョンづくりですから、参謀より上位レベルの上級指揮官の仕事になるわけですが、長期構想型参謀はスタッフとして欠かせない人材です。
戦略的思考に優れた参謀は数少ないからです。

石原莞爾は独自の戦略的思考に立って、日本の将来像を考え抜いた異能の作戦参謀です。当時にあって類稀な世界観を構築しえた背景には、陸軍幼年学校時代からの高度な知的探究心がありました。当時の日記にこんな一文があります。
「困(くるし)まざれば真に抜出る能(あた)はず困まざる間は自惚強し」

これを自戒の念として、石原は早稲田大学の大隈重信に教えを乞うたり、近代東洋学の泰斗である内藤湖南の門を叩いたりしています。

それだけではありません。
昭和初期の代表的な総合雑誌だった「改造」や「中央公論」を定期購読していましたし、マルクスやレーニンの唯物史観を熱心に勉強しています。
ベルリン駐在武官時代には、ナポレオンと第一次大戦の戦史を学ぶかたわら、ドイツの将校を雇って週一回の研究会を仲間と開いています。

石原の世界観は一朝一夕に出来上がったのではなく、長い時間をかけた思索の集積物だったのです。
だからこそ、その構想が正しかったかどうかが問題になるわけです。
注目すべきは、昭和史のスタートがまさに石原構想に基づいて動いたという事実でしょう。
その壮大な構想として知られる「世界最終戦論」の概要は次のようなものです。

世界は闘争の場であり、列強の勝ち抜き戦である。
将来は、ヨーロッパを制覇したソ連とアメリカが戦争して、最後はその勝者と日本の世界最終戦争になる。
では、日本が最終戦争まで残るためにはどうすればいいか。
日本は満洲国をしっかりと固めて、中国とは事を構えず同盟国とし、ここにアジア各国の総力を結集した大兵力を温存して、最終戦争で決戦して世界平和へと導くーーー。

実は、この大構想が案外当たっていたといえなくもないのです。
日本は方向性を失し、政策を間違えて先に沈没してしまいましたが、ソ連とアメリカは冷戦という「最終戦争」をすることになりました。
皮肉にもソ連は自滅してしまいましたが。

日本が石原構想のままに動いていけば、満洲国をつくって中国と協調し、最後の決戦までは国力を養っているはずでした。
ところが、早くケリをつけたい勢力が台頭し、また「中国一撃論」(強烈な一撃を加えれば中国は降参するという論)が唱えられ出し、陸軍上層部が早期決戦という方向に傾いて石原構想は潰されてしまいます。
日中戦争が勃発したとき、石原は作戦部長であり当事者でした。
その石原は「戦争不拡大」を叫んだのですが、結局は陸軍中央から追い出されてしまいます。

石原は長期的戦略を立て、その実現に向けて全力を結集していくには何をなすべきかまでも具体的に考案しています。
1つひとつ確実に実行していく上で、大勢に影響はない事柄については多少の妥協も許しました。
何が重要で、何が見過ごしてよいことかを心得ていたのです。
この点に、長期構想型参謀としての突出した能力を見ることができます。

惜しむべきは、その行動において粘り強さが足りなかったことです。
心血を注ぎ、ありったけの知恵をしぼり出しておきながら、何が何でも成果を手にするという執念を持たず、窮地に陥ればさっさと諦めてしまうのです。
もちろん、一度や二度は熱心に食い下がりますが、早い段階で見切りをつけてしまう。
どうやら秀才にありがちな執着心の薄さが災いしていたようです。
 

朝の川柳

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 4日(火)15時44分30秒
返信・引用
  「反保護主義消してひとまず機嫌取り。」(G20閉幕)  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 4日(火)06時41分36秒
返信・引用
  「トランプのポチかと思ったカモだっ た。。」(トランプ暴露発言に)  

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 4日(火)05時37分42秒
返信・引用
  890年明治23年の今日、ドイツに留学中の北里茂三郎は破傷風などの血清治療法を確立した。  

戦争犠牲者

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2018年12月 3日(月)14時48分52秒
返信・引用
  半藤一利さんの「語り継ぐこの国のかたち」から引用します。

戦争犠牲者をどう追悼すべきかと問われれば、わたくしの答えは決まっています。
日本がいつまでも平和で穏やかな国であることを、亡くなった方々に誓うこと。
無念の死、無惨な死を遂げた方々に向けて、あなた方の心を生かしますと誓うことです。
 

8月15日 終戦

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2018年12月 3日(月)14時36分4秒
返信・引用
  半藤一利さんの「語り継ぐこの国のかたち」から引用します。

「終戦の詔書」の中の一行
「戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せば五内為に裂く(身が張り裂ける)」と、天皇が戦争犠牲者を痛哭したくだり。

「老兵」命懸けの決断

作家志賀直哉が終戦直後に「鈴木貫太郎」というエッセイを書いていました。

「我々は今にも沈みさうなボロボロ船に乗ってゐたのだ。軍はそれで沖へ乗出せといふ。鈴木さんは舳だけを沖に向けて置き、不意に終戦といふ港に入れて了った」

大事なのは、この港へオンボロ船を入れるのは小手先の政治的テクニックなんかではできないということ。
あの一日は、真剣刃渡りのような危険を、ほんとうに昭和天皇と鈴木貫太郎首相のまさに「阿吽の呼吸」があって、やっとのことで乗り切れたのです。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」といいますが、鈴木貫太郎は字義どおり捨て身になれる人でした。
私心のまったくない人であったからこそ、この大事業ができたのだと考えます。

わたくしは手もとに貴重な資料をもっています。
何かといえば、終戦を決した15日の夜7時、鈴木首相が国民を励ますために「大詔を拝して」と題する談話を放送しました。
そのラジオで読みあげるための原稿そのものです
聞いたような聞かないような、それを聞いた記憶は耄碌していまはないのですが、そのなかの一行にわたくしはいま感動を新たにしています。
「諸君の胸中はこの私も老兵の一人として良く存ずるところであります」

この「老兵の一人として」は鈴木首相がみずから草稿に書き入れたものであるといいます。
鈴木首相は戦争終結の政治的決断を、一兵卒が死を賭して突撃する覚悟のもとにあえてした。
このごろの「誠実に」だの、「真摯に」だの、「丁寧に」だのと、口さきだけで上手をいう政治家たちとは天地雲泥の差の、それこそ命がけの決断であった。
それでやっとのことで戦争を終結することができたのです。
 

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 3日(月)05時32分17秒
返信・引用
  「1872年明治5年明治政府が暦を太陽暦に切り替えて西洋に同じくした。  

今朝の短歌」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 2日(日)13時58分43秒
返信・引用 編集済
  「あると聞く山の三又路祷原に龍馬を偲ぶ脱藩定食。」(馬場あきこ選、評、脱藩定食は面白い、商才もたくましいが龍馬の魅力もすごい。)平山註「ユズハラ町」坂本竜馬等が脱藩したとき通った四国土佐藩の町  

現代日本のあやうさ

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2018年12月 2日(日)12時31分12秒
返信・引用 編集済
  半藤一利さんの「語り継ぐこの国のかたち」から引用します。

日露戦争までの明治は、司馬さんが「坂の上の雲」でお書きになったように、ものの考え方、あるいは国家の運営の仕方にも、非常に真剣みがあって明るい。
一番いい例が、日露戦争に一応は勝利して、そこでとにもかくにも国力を考えて停戦するという、あの判断です。
なかなかあそこで決断してやめるのは難しい話です。
そういうように、判断のなかに、真面目さがあった。
ところが、あの後からの明治の日本は真面目さ、真剣さを失っていきます。

大体が基本的に、勝つとろくなことがない。
逆境に耐えることには、真摯な真面目さをみせる。
しかし勝つと享楽的になったり、拝金主義的になったりする。
それは太平洋戦争で負けた後、ものすごく頑張って高度成長期を呼んだときにも繰り返された。
今は、高度成長期がバブルを最後に終わって、負けてもないのに負けが込んできているような、でもまだ勝ちの名残があるような状態です。

明治は基軸に天皇制を置き、富国強兵を国家目標にしました。
それは日露戦争で一応完成された。
その後の日本は立憲君主制の天皇制という機軸にあき足らなくなり、天皇を神格化しようとしたんです。
絶対君主としての天皇を置こう、と考えた人がたくさんいた。
それを機軸に、世界やアジアに冠たる大帝国国家を作ろうという、うぬぼれのぼせた国家目標を置いたわけです。それが国を滅ぼした。

では、戦後日本の機軸は何かというと、平和憲法であったと思います。
国家目標ははじめの頃は文化国家だった。
わたくしが中学三年生で終戦を迎えたときは、これから日本は文化国家を作るんだと思っていました。
ところが、どこでどう間違ったのか、いつの間にか文化国家はやめて経済大国。
ともあれ、目標を経済大国に置いて、平和憲法を機軸にとにかく国を作ってきた。

そしてGDP世界一位か二位の経済大国を作り上げてはみたが、その後は、となると、最近の日本には、国家目標がなくなった。
また長年の機軸であった平和憲法にも飽きてきたようです。
ちょうど明治の後半から、立憲民主ではなく、機軸をもう少し強力な天皇にしようという動きがあったように、「平和憲法はもうだめだから、もっと強力なものにしよう」、そういうふうに思い始めているようです。
 

片笑窪

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 2日(日)05時57分12秒
返信・引用
  「生煮え入管法案」。
          --歯がたたなかった。--野党
 

今日は何の日?

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 2日(日)05時32分23秒
返信・引用
  「1905年明治38年の今日日本初めての大使館が英国にオープンした。初代大使は林董であった。  

G20の安倍氏

 投稿者:パウロ  投稿日:2018年12月 1日(土)18時59分1秒
返信・引用
  トラの威を借るキツネ。一機100億超の「F35」を100機取得を手土産にトラの側にベッタリの我総理。ミエミエのパフォーマンスにあのゴーン氏を上回る厚顔無恥。情けない。  

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 1日(土)15時20分3秒
返信・引用 編集済
  「丸丸と育った鯉を釣る巨人。](広島の丸選手移籍)  

宿直

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2018年12月 1日(土)10時31分58秒
返信・引用
  半藤一利さんの「語り継ぐこの国のかたち」が発刊されました。
読んでいる途中ですが、相変わらず歯切れの良い口調で、明治以降の歴史を語っています。
そこに流れる半藤節に共感を覚えるものの一人として、その一部を引用していきます。

「難局に対処するための処方箋はほかのところにはなく、歴史のなかにある、とわたくしはあらためて思っているのです」 半藤一利

夏目漱石が「坊ちゃん」の第4章で宿直の問題を扱っています。
宿直のとき、坊ちゃんの寝床にバッタを入れる騒動を生徒が起こして、狸校長が飛んでくるわけです。
それで、「なんだバッタ騒動か、ばかなことだ」と安心するんです。
職員会議の場面で、ばか話、笑い話みたいに漱石は書いています。
でも、実は宿直という制度を、かなり意識して批判的に書いている。
そうわたくしは読むわけです。

わたくしが子供のころ、学校には必ず奉安殿というものがありました。
そこに天皇皇后両陛下の御真影と、教育に関し賜わりたる勅語(教育勅語)というものが、しまわれていたのです。
宿直はその奉安殿を守る制度だったのです。

教育勅語は明治23年(1890)にできますが、御真影は明治21年ぐらいから始まっています。つまり憲法を挟んで前後になる。
そして明治24年ぐらいに、文部省が各学校に、明治天皇と昭憲皇太后の御真影、それと教育勅語の謄本(本物は宮内庁にある)を大事に守護するために校内一定の場所に、奉置してお守りすべしという省令を発する。
学校はそれを守るために、一定の場所に置いて常に人を配したんです。
これが宿直のはじまりです。

それでも火事、水害があったり、地震があったりする。
火事になったときに、御真影と教育勅語を燃やしたばっかりに、校長が首になったり、宿直の先生が飛ばされたり、当時はよくあった話です。

明治31年(1898)だったと思いますが、長野県の上田小学校で火事が起きたとき、校長先生が飛んできて、火事のなかへ飛びこんで御真影と教育勅語を救おうとした。
でももう無理だと止められて学校は焼け落ちた。
御真影も教育勅語も焼けたと思ったその校長先生は翌朝、割腹して自殺したんです。
実は早急に持ちだした人がいて焼けていなかったらしいのですが。

ところが、責任をとっての校長の割腹が新聞に大々的に報じられ、美談としてその校長先生は褒めたたえられた。「これぞまさに日本男児の誉れなり」というわけです。(中略)
そういうような事件が日本の各地で起き、その報道を漱石はみていた。
そういうことに対する批判ということで、「坊ちゃん」のバッタ騒動を書くわけです。

このような状況を、きちんと批判する人は批判したのです。
でもそうした批判はあるものの、御真影を大事にし祝祭日の時に飾ることで、日本人としてのアイデンティティを国民に植え付けた。
そういう形で国家作りをしたというのは、ある意味ではすばらしいことだと思うのです。
 

今朝の川柳」

 投稿者:沼南ボーイメール  投稿日:2018年12月 1日(土)10時19分16秒
返信・引用
  『安倍外交飛行時間は名を残し。」(国会ぎらい外遊大好き)  

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