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女子選手を受け入た、ある男子野球チームについて一言。
先の投稿者「みき」さんの言う通り、男と女は基本的に違いがある。
勿論、人間としてみれば性別は特に関係など無い。だが、それは人間の中の最低限の権利や義務であって、女そして男それぞれの性を飛び越えた同一性を意味するものではないのだ。
生まれ持った性を、様々な分野、場面において比較してみると分かりやすい。
例えば風呂やトイレはどうだろう。公の場にあるそれらのほとんどは、性別によって分けられている。もしも、男が堂々と女子トイレに入ることがあれば、それを見た女達は不快感を覚えるのではないか。その男に如何な理由があろうとも、女子専用の公的な場に男がいることを、女達は許さないだろう。
混浴を謳っている温泉の浴場においても、男女それぞれが意識的に胸や陰部を隠し、互いに相手の様子を窺いながら入浴していることもまた一つの事実である。
スポーツの世界にも同じことが言える。オリンピックなどの世界的な体育大会の中で、男女が同じ場で競い合う競技などは存在しない。一見、性別など関係無いもののように思えるセーリングや拳銃、ライフル競技、カーリング、アーチェリー、馬術等にも男女の分けがある。
それは何故か。
性の違いで物理的(肉体や脳の使い方)に差があるからである。
子宮を持つ男などいない。いわゆる「中性」と呼ばれる人達も同様だ。ここで勘違いをされては困るので、「中性」の人達についての簡略的な説明をしておく必要がある。
中性の人達が何故、中性であるのか。それは、『Y染色体』になんらかの欠損があるからである。つまり、中性の人達は元々、男の性を持っている。
そのことを理解してもらったうえで話を進めるが、萩本欽一率いる野球チーム、ゴールデン・ゴールズに女子選手を入れたことは、一芸能人である監督のマスメディアに対する話題づくりの一環ではないのか。でなければ、他の選手より劣るプレーしかできないその女子選手の存在意義は見出せない。その女子選手が、ゴールデン・ゴールズに絶対的に必要な人物とするならば、彼女より優秀で、素晴らしいプレーができる他の女子選手は何故入団できないのだろうか。矛盾が生ずる。
彼女は体よくチームの宣伝材料にされているということに全ては帰結する。
私は、これこそが「男女平等」を明確に示しながらも、自分とチームを売り出す為に一人の女子選手を生贄にする『性差別』のように思えてならない。彼女には哀切さを感じこそすれ、他の良い感情は浮かんでこない。
男と女は違うという一つの大きな事実を理解し認知しなければ、真理は得られない。それが正しくなされなければ、不当な性差別は続くと思う。
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