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「今日の会話」

 投稿者:KOBUSHI  投稿日:2017年12月23日(土)00時10分21秒
返信・引用
  川柳の反応が薄いので(関西のひまじんさん、ごめん) 、話題を変えます。
「今日の会話」
アルバムを見ながら、
妻:貴方、若い頃モテたでしょう
夫:そうでもないよ。しかし、どちらかというと、
  モテた方かなー。
妻:でしょ。全く若い頃の気持ちの儘なんだからー。
夫:・・・・・。
 

作品集掲載

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年12月21日(木)23時50分15秒
返信・引用
  KOBUSHI さんの「大相撲(お騒がせ)」を作品集の川柳のジャンルに掲載させていただきました。

   謝々。
 

大相撲

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月21日(木)17時29分56秒
返信・引用
  KOBUSHIさまお久しぶり。
久しぶりに盛り上がりを見せました。

<大相撲>

そういえば モンゴル相撲に 土俵無し

頑なに 信念通す 鬼の甥

大相撲 まるく収める 者は無し
 

大相撲(お騒がせ)

 投稿者:KOBUSHI  投稿日:2017年12月21日(木)12時59分31秒
返信・引用 編集済
  <大相撲>
 1. 待った無し 窮状(休場)続く 国技館
 2.真似するな 土俵の外の 可愛がり
 3.許すまじ 凶器に使う カラオケ器
 4.そういえば モンゴル相撲に 土俵無し
 5.バンザイを するなら独人 家でやれ
 6.頑なに 信念通す 鬼の甥
 7.大相撲 まるく収める 者は無し
 8.孤立する 米朝噂の 貴乃花
<世相>
 9.「仕事する」内閣 仕事済んだのか
10.お騒がせ 党首になったが 出馬せず
11.リセットし 選別をして 嫌われる
12.一線を 超えて更なる 一歩踏む(愛知7区 山尾志桜里)
13.宿敵に 敗れ夫に 浮気され(新潟1区 金子恵美)
14.都会では いざなぎ景気 超えたそな
15.原潜が 見守る中を 歴訪す
16.暴発の 無きことを唯 祈るのみ
17.支持率が 示す天下の 我儘度(仏マクルーニ:歳出削減宣言→急落)
<近況>
18.定年後 俺の支持率 急降下
19.「このハゲー」と 怒られないだけ まだましか
20.予定表 ゴルフと病院 以外無し
21.来訪者 回覧板か 宅急便
22.高齢者 近くて遠い トイレかな
<生涯ゴルフ>
 1.フェアーウェイ 何故か 左寄りを行く
 2.積み重ね ボール探しが 上手くなる
 3.ひとホール各に 目標下がりけり
 4.プロ並みに ラインを読んで まだ打たぬ
 5.パー取れる 希望(のぞみ)あるのは ショートのみ 
 

「今日の会話その2」

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月17日(日)10時03分33秒
返信・引用 編集済
  食卓にチョコレートの包みが数個置いてありました。娘が持って帰ってきたようです。包みを開けて食べようとしますが中々開かないのです。

私・・・・「どうしてこんなに厳重に包むのかなあ、最近の商品はけしからんねえ!」、開けてほしい」

(家内が包装を開けながら)
家内・・・「売り場で試供品というのがあって食べてもいいのがあるけど、試供品でない商品を勝手に食べる人が多いのよ、だから厳重に包装してあるの!世の中には、あなたみたいな人が多いのよ」
 

「今日の会話」

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月17日(日)09時39分26秒
返信・引用 編集済
  今朝の新聞で、心理学者のマズローという人が、人は世の中から認められるということがとても大事だ、最近のインスタグラム、SNSの「いいね」という評価を求める風潮も、そのせいだろう、と書いてありました。

私・・・・「君は世の中から認められていると感じているの?」

家内・・・「勿論、十分にね!ただし我が家ではそうではないようね」

私・・・・「えっ、十分に評価し、大いに感謝しているけど」

家内・・・「まさか!」
 

i(アイ)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月16日(土)17時37分56秒
返信・引用
  「サラバ」で直木賞を受賞した西加奈子さんの話題作「i(アイ)」を読みました。

「この世界にはアイは存在しません。」
サラバのときも思ったんですが、西さんの小説の冒頭には驚かされます。

「二乗してマイナス1になる、そのような数字は存在しないんです。」
アイが通う高校の数学教師は続ける。
「だから君たちは今後、この世界に存在しない数の勉強をすることになるわけなんです。」
もう少し、抜粋して続けます。
そのひとつがiの話だった。虚数だ。実数ではない複素数、iはその代表的な虚数単位であるらしい。
i×i=-1。「存在しない数」の授業をすることになるのだ。
「この世界にアイは存在しません」

主人公のフルネームはワイルド曽田アイ。
主人公アイは裕福なアメリカ人の父と日本人の母の子。1歳にもならないときに養子に貰われたシリア人の娘。
アイは養子であるがゆえの父母の愛は本物かどうかのを大人になるまでずっと持っていました。

レズビアンの親友、カメラマンの伴侶。体外受精、妊娠、流産など身近に起こる多様な出来事。また、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災、超大型台風ミランダ、ISなど世界で起こっている様々な災害。

この小説は、これらのことを経験してアイが成長していく姿を描いている力作です。
女性ならではの筆致が光っています。

そして、アイが問題に突き当たった時、小説の中に呪文のように出てくる「この世界にアイは存在しません」という言葉がこの小説を象徴しているかのように思いました。

「この世界にアイは存在しません。」
「この世界にアイは。」
「この世界にアイは、存在する。」でこの小説は終わった。
 

姪夫婦

 投稿者:kai  投稿日:2017年12月16日(土)10時26分24秒
返信・引用
   今回もご不幸の話です。琵琶湖の近くに住んでいる私の妹の娘(あっちゃん)のご主人が
亡くなったので、その葬儀に行って来ました。このご主人は京大出で、将来を嘱望されてい
た方でしたが、12年ほど前に脳梗塞で倒れました。妹の旦那は医者なので、直ぐ手配し、関
西 NO1と言われる脳外科医に執刀してもらいました。手術は成功し、半年ほどのリハビリ
の後、職場復帰したのですが、1週間程で再度出血し、完全な植物人間となってしまいまし
た。

 あっちゃんは、その時、2人目の子供が生まれたばかりでしたが、すぐ仕事に就き、家計
を支えると共に、2人の幼子の養育、ご主人の看護と夜も日もなく働いたそうです。そして
「愚痴一つ言わず、ご主人の目が少し動いただけで、快方に向かっていると言って喜んでい
る。かわいそうで見ていられない。」と妹が言っていました。

 また、妹は「あっちゃんはご主人を車椅子に載せて、平気で、むしろ誇らしげに人前に連
れていく。私には絶対できない。」とも言っていました。

 今回行った時も「一度、処置が不十分だと言って病院と喧嘩になったことがある。医者仲
間で上手く収めたが、あっちゃんばご主人に一日でも一時間でも長生きして貰いたいと思っ
ている。亡くなってほっとしたでしょうなどとは絶対に言わないでくれ。」とのことでした。

 今や、2人の子供も立派に成長し中3と小6です。学校で人気があるのでしょう、通夜に
は大勢のクラスメートとその父兄が参列し、会場からあふれるほどでした。読経の間、2人
の子供が大声でしゃくりあげるので、女性軍は皆もらい泣きをしていました。

 私などは、自分でトイレに行けなくなれば、出来るだけ早く死にたいと思っていましたが、
夫婦愛そして家族愛について考えさせられる一件でした。
 

冬の花

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月16日(土)09時59分9秒
返信・引用
  オンシジューム
今年亡くなった母に敬老の日にプレゼントしたもの。
 

「悲しみの経験」

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月14日(木)10時05分44秒
返信・引用
  先日、某協会の総会後の懇親パーテイに参加しました。そこで、旧知の友人達に久し振りに出会い、想い出話などをして楽しみました。

そのうちの一人が、開口一番、にこやかに笑いながら「東内さん、お元気そうですねえ」とあいさつをするのです。私も「いやいや、あなたもお元気そうで・・」と言いながら、お互いの元気さを寿ぎつつ、別れました。

しかし、別れてしばらくして、哀しみがじわじわと広がってきました。即ち私は、普通に元気である事が褒められるような年齢に達したのだ、と痛感させられたからです。

今後、いかなる年齢の人に出会っても、「お元気そうで・・」などという挨拶言葉は決して使用しない様にしようと、決心しました。
 

ひまじんさま

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月13日(水)14時37分1秒
返信・引用
  昨日受診した病院によると、内視鏡の管が細くなっても、喉や食道をうまく通らない人もいるそうです。
私はひょっとすると前世が、獲物を丸呑みする爬虫類や鳥類だったのかもしれませんね。
 

胃カメラ

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年12月13日(水)09時26分6秒
返信・引用
  関西のヒマジンさんは殆ど抵抗がなかったそうですが、私は去年健康診断で「胃の壁が少し荒れている
ようなので胃カメラで診てみましょう」ということになり、以前胃カメラをしたときに苦しかったので
躊躇していると「最近は医療も発達しているので以前ほど苦しくないですよ」と言われ受けることに
したのですが、これが前以上に苦しく、もう二度と受けたくないと思いました。
する人の技術にもよるのでしょうかね。
 

健康診断(胃がん検診)

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月12日(火)12時45分31秒
返信・引用
  今日、胃の内視鏡検査を受けてきました。
最近の内視鏡は管が細くなっていて、喉や食道を通過するときもほとんど抵抗がないですね。
結果は異状なし。
ただ、2年前にピロリ菌を除菌したので、それまでは菌がいた関係で、胃の粘膜が薄くなっているとの診断でした。
ピロリ菌は保険で除菌できますので、まだの方はピロリ菌の検査をお勧めします。
 

あかねサポート

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月10日(日)22時00分19秒
返信・引用
  ひまじんさんの投稿を拝見すると、あかねサポートは高齢者のサポートクラブのようですね。
あかねは「茜」。
私のイメージでは茜色の夕日。
西に沈む夕日は人生の終着点を連想させます。
そして、極楽浄土。

ひまじんさんのあかねサポートは、その人たちをサポートする大事な役目ですね。
頑張ってください!
 

クリスマス会

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年12月10日(日)00時39分29秒
返信・引用
  昨日は、毎年恒例の高齢者総合相談センターのクリスマスの会が行われました。

元気な高齢者40名弱が参加されました。

最初に牛込警察署の方が来られて、振り込め詐欺についてのお話しをされ、牛込署管内で今現在で
36件発生しており、被害額は1億円を超えているそうです。これからクリスマスまでの間に特によく発生
するそうですので、注意してくださいとのことでした。

その後お食事が始まり、皆さん賑やかにおしゃべりしながら完食され、ビンゴゲームや銭太鼓の演技、
そしてクリスマスの歌を歌って、あっという間の2時間でした。

今回初めて参加される方もおられ、「とても楽しかったのでこれから毎回参加したいです」と言って
帰られました。

あかねサポートネットの会員は、前もってお弁当を注文したり、お菓子やビンゴゲームの景品を買いに
行ったり、当日は1時間半前に集合して、人数分にお菓子を分けて、テーブルセッティングしたりと
色々大変でした。

でも皆さんの笑顔で帰られる姿を見て、また来年も頑張ろうという気になりました。
 

推手講習

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月 7日(木)10時47分35秒
返信・引用 編集済
  推手は太極拳を行うに当たっての身体の基本作りを行うものです。
敵に前後左右から押されても倒れない身体(姿勢)が求められます。

推手はジムの先生から10回程度教わりました。
また、神戸の大倉山(湊川神社の近く)で7人の講師(ジムの先生も含む)から4,5回教わりました。こちらの方は以前有段者を対象として行われていましたが、いまはそれ以外でも受けられます。

通常、目に見える動きは手の動き、足の動きですが、ここで教えているのは身体のコアの動きです。これは丹田辺りのインナーマッスルを鍛えることによって初めて可能になります。
そして、正しい姿勢が求められます。
コアに力を入れて両足は地面にピッタリ付け(地下二階を踏むように)、肩を落とし、股関節を弛めしっかりと構える。
先生に指導していただくと、どこかピタッと決まるところがあります。
それを、常に保つことが求められます(これが至難の業です)。

これを鍛えれば、歩行の基本が出来ますので、日常生活の転倒防止にも役立つそうです。
如何でしょうか?やってみませんか。

 

虎太郎

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年12月 7日(木)01時08分36秒
返信・引用 編集済
  我が家の雄猫“虎太郎”を先週初めて病院に連れて行きました。

右目を少し細くして涙が出たりしていたので、診てもらおうとケースに入れて自転車の後ろに乗せた途端、
虐待されているかの如く鳴き喚くのです。病院のある早稲田通りに入ると、ぴたっと鳴き止んだのです。

病院内でも少し鳴いていましたが、その鳴き方は弱弱しく悲しそうな鳴き方でした。

先生に診てもらうと、目に毛が入っていたそうで洗い流してもらって目薬を差して1週間様子を見て下さい
という事で帰ってきたのですが、帰りも自転車に乗せた途端鳴き喚き、家に着くと鳴きやみました。

ゆう吉の場合も、病院へ行くときは着くまで鳴いていましたが、いつもの「ニャーニャー」という
鳴き方だったので、それほど宥めたりすることもなく病院へ行っていましたが、虎太郎の場合は
「ギャーァ」と鳴き続けるので、病院へ着くまで「大丈夫だから」と宥め続けなければなりませんでした。

今日病院へ連れて行って診てもらったのですが、もうすっかり治っていてよかったです。

両足を上げた露わな姿でじっとしていたので撮りました。
 

「小さな淑女」

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月 6日(水)23時36分27秒
返信・引用
  今日、飯田橋駅のプラットホームから、エレベーターに乗ろうとしました。

私の前を若い母親がベビーカーに赤ちゃんを載せて押していました。ベビーカーの傍には5・6歳の女の子が一緒にあるいています。その方向はエレベータ―の方向だったので、三人で一緒に乗るのだろうと、私はスピードを緩めて後ろをあるいて行きました。

エレベータ―に近づくとその女の子が小走りになってエレベーターのところに行きドアを開くボタンを押して母親とベビーカーを待ちました。

母親とベビーカーがエレベーター中に入ると、その女の子は、ボタンを押したまま、わたしを見てにっこりと笑い、私に早くのるようにと仕草をするのです。

まさに、小さな淑女でした。私もお礼を言いつつ、少し大げさに会釈しながら中に入りました。

今は、それから6時間ほどたっていますが、まだまだちょっと幸せな気分です。
 

『電燈の修理』

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月 3日(日)13時04分2秒
返信・引用 編集済
  我が家の二階の天井の電灯がここ数カ月点灯しない。

そこで、家内が近所の電気屋さんに依頼して修理することになっていました。そして今日その電気屋さんが来られて、天井を修理してくれました。

我が夫婦としては、もう永年使っている電灯であり、これまでも数回にわたって修理してもらっているので、新しいものに取り換えてもらったらどうか、という思惑でした。

ところがその方は、来られて暫く電灯をいじっておられたのですが、治ったのです。点くからいいじゃないですか、と言われてそのまま帰られました。狐につままれたような気分です。

我が家の電気器具やトイレ、水道、下水の排水管、床の修理等自宅の維持は、ご近所にそれぞれ専門家がおられて、問題ごとに専門家が来られて、ちょこちょこと低費用で修理してもらえるのです。

この方には、トイレの温水シャワーの設置も数年前にしてもらいました。大変安かったことを覚えています。
このような専門家だけでなく、向こう三軒両隣を中心として、時折貰い物野菜をを頂いたりするのも稀ではありません。なんか、昔の落語に出てくるようなご近所付き合いがそのまま残っているような雰囲気です。

長らく転勤族だったので、ご近所付き合いをして和気藹々と暮らしていく、このような雰囲気は初めてで、これこそ生活だと有り難く思っています。
 

儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月 2日(土)12時08分48秒
返信・引用
  ケント・ギルバート氏の表題の新書を読みました。
同氏は昔、故大橋巨泉のテレビ番組にレギュラーとして出ていたので、本の内容とともに興味を持って読みました。

読んでみて、ちょっと期待外れでしたね。

中国人については、所謂中華思想のことが批判的に書かれています。そして、中華思想が儒教から来ていると書いてあります。
ところが、儒教と中華思想がどのように関係しているのかについては何も書かれていませんでした。

また、韓国人については事大主義と小中華とあり、同じく批判的に書かれていますが、こちらも、事大主義が儒教から来ていると書いてあるにもかかわらず、儒教のことが書かれていないので、判然としませんでした。
私は韓国の「恨」について知りたかったんですが、何も書かれていませんでした。
 

西神中央駅

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月 2日(土)07時25分43秒
返信・引用
  以前からうわさには聞いていましたが、新聞に載っていましたか。
相互乗り入れはJRではなくて阪急だと聞いていましたが?
大阪まで直通になれば乗り換え時間が短縮できて非常に便利になります。
情報提供有難うございました。
 

西新中央駅

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月 1日(金)22時56分16秒
返信・引用
  先日新聞を読んでいたら、神戸市の地下鉄が大阪まで相互乗り入れで延伸するとの記事がありました。

西新中央駅が地下鉄の始発駅になり、大阪まで直通となるそうで、大変便利になるようです。
西新中央駅界隈に住む住人は大変便利になって、地価も上昇するでしょうからいいことづくめですねえ!
 

表紙の写真

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年12月 1日(金)09時35分43秒
返信・引用
  ツワブキ、美しく撮れていますね。
花弁が全部そろって、葉の緑と黄色の花のコントラストが美しいです。
 

言の輪53号「老いて・・・」発刊

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年11月30日(木)20時24分29秒
返信・引用 編集済
  今日、お隣の言の輪の53号「老いて・・・」が発刊されました。

いつものように、エッセイ、小説、CW、短歌、俳句、都々逸と多彩に掲載されています。

興味のある方は、言の輪の作品集に掲載しますのでご覧ください。

冊子をご希望の方は、トトシカーナさんまでご連絡ください。
 

神戸市立博物館

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月29日(水)23時18分16秒
返信・引用
  神戸の中心部、三宮・元町周辺は浜側と山側に分かれています。
山側はトアロードを昇っていくと海を遠望する北野地区があり、浜側は旧居留地に代表される落ち着いた西欧風の街並みがあります。

私は大丸百貨店から神戸市博物館あたりの街並みが好きで、神戸市博物館で美術展が開催されるときは時々見に行くことにしています。

いまは「ボストン美術館展」が開催されていたので行って来ました。
パンフレットに「古今東西の至宝が勢揃い」とあった通り、古代エジプト、中国美術、日本美術、フランス絵画、アメリカ絵画など80点を借り受けて展示していました。

なかでも、フランス印象派の絵と日本の江戸時代の絵は印象に残りましたね。

私は印象派の絵が好きですが、今回神戸に来た絵でゴッホの「郵便配達人ルーラン」とその妻「ルーラン夫人」が並べて展示されていましたが、色鮮やかなとても素晴らし絵でした。
それから、ルノアール・クールベ・シスレー・セザンヌの果物や花の静物画はちょっと珍しくないですか?
あと、モネの「ルーアン大聖堂」や「睡蓮」もありました。
「ルーアン大聖堂」はフランスのオルセー美術館にもありますね。また、「睡蓮」はオルセーはじめあちこちで見ました。
モネの絵は近くで見るのと少し離れて見るのとでは随分趣が異なります。今回はそれほど込んでいなかったので、少し離れて見ることもできました。

日本画では喜多川歌麿の「三味線を弾く美人図」は美しかったですね。
絵の左側に、贔屓筋の5人の旦那が芸者に対する思いのたけを歌にしたものが書かれてありましたが、残念ながら読めませんでした。
酒井抱一の「花魁図」は花魁の立ち姿を描いていました。花魁の下駄の歯は1本かと思っていましたが、3本ありました。
圧巻は英一葉の「涅槃図」です。「幻の巨大涅槃図、初里帰り」とタイトルにあったとおり、170年ぶりの里帰りだそうです(この絵は江戸時代1713年に描かれています)286.8cm×168.5cmーー日本画としては巨大な絵で、釈迦が亡くなった時の絵です。
天上から釈迦のお母さん。そのた釈迦の周りには弟子達や不動明王?みたいな人達、そして象や虎や犀その他蜘蛛に至るまでのあらゆる動物が描かれています。人間は悲しみの表情で描かれていますが、動物たちには悲しみの表情はありませんでした(動物たちは悲しくても表情に表さないのか、悲しくないのか私にはわかりません)

古今東西の絵が一堂に会して久しぶりに目の保養をさせていただきました。
 

願いは一つ

 投稿者:KAI  投稿日:2017年11月27日(月)07時40分12秒
返信・引用
   近所でご不幸があり、弔問に行ってまいりました。自治会を一緒にやってい
た仲間で、ご自宅を訪問した時、にこやかな笑顔で接待して頂いたその奥様が
逝去されました。当時から聞いていたのですが、奥様は原因不明の肺の病気
でした。この度、3年ほどの闘病生活の末、亡くなられました。

 彼は「俺より先に絶対死ぬなと言っていたのに死んでしまった。こんなに沢山
レシピばっかり残して何の役に立つか。」と言って慟哭されていました。次第に
呼吸が苦しくなり、死期を悟った奥様が愛するご主人のためにしてあげれるこ
とは、レシピを書くことぐらいしかなかったのでしょう。

 定年時代という新聞があり、そこに定年歌壇という蘭があります。その中から、
私のもっとも心に残る一首を紹介します。

   一言も物言わぬ日の宵の窓
             声かけてみる秋の半月
                                 土浦市 栗田幸一様作

 この作者も奥様に先立たれ、一人身の侘びしさをこの歌に託したのでしょう。

 私の女房に対する願いはただ一つです。

 私が稼いだ金は全部使って良い。このハゲ―と言っても良い。私より先に死
ぬな。
 

湖底の城

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月26日(日)14時07分48秒
返信・引用
  宮城谷昌光氏の「湖底の城第8巻」を読みました。
この小説は中国の春秋時代、南方(今の杭州や蘇州あたり)の呉と越を中心に楚が絡む物語です。
呉越同舟という言葉の通り呉越は仲が悪く、何度も戦を繰り返しています。

第7巻までは呉の「五子胥」を中心に展開していましたが、第8巻は越の「范れい」を中心に展開していきます。

呉王「夫差」は父の代に敗れた恨みを晴らすべく越王「句践」と戦い、これを破り、目を中原(晋や鄭のある先進地域)に向けつつある。
句践は囚われの身となりいまや宮殿の便所掃除をしている。
越王句践の妾である絶世に美女西施は夫差の囲い者になった。

范れい等は危険を冒しつつ大国楚と密命をかわしつつある。
越王句践の運命は呉越の今後は?
第9巻以降に委ねられる。
 

大阪駅

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月26日(日)09時35分55秒
返信・引用 編集済
  昨日、旧職場の会合が大阪駅前北方面でありました。

駅も含めて駅前が変わっているということは聞いていたので、集合場所の確認と駅の変貌を確認するため、集合時間より1時間早く大阪に行きました。

大阪駅周辺は近年大変貌を遂げています。
駅の大改造と駅北の再開発で昔の面影はありません。
駅の北側は西九条から梅田を経由して吹田まで伸びる貨物線に妨げられて長い間再開発ができない状態でした。
長年の懸案が解決していま新しい街に変貌していますし、まだ広大な敷地が残っていて再開発の途中です。

私は出かける場合は三宮で用を済ますので、大阪までは足が遠のいていました。
800万都市の大阪は140万の神戸と比較して人も多いし、街も東京に次ぐ大都会だけに最先端をいっている感じがしましたね。
 

八重子のハミング

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年11月26日(日)00時28分47秒
返信・引用
  先日ギンレイホールで「八重子のハミング」という映画を観ました。

若年性アルツハイマーになった妻の介護を、自らもがんと闘いながら12年間続けた夫婦の物語です。
実話をもとに映画化され、夫役は升毅さん、妻役は高橋洋子さんでした。
 

映画「関ケ原」

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月19日(日)20時51分59秒
返信・引用
  司馬遼太郎原作の小説の完全映画化「関ケ原」を見てきました。
映画はあまり見ないので、見るつもりはなかったが、親戚のお寺が映画に出ているということなので見てきました。

司馬遼太郎の長編小説「関ケ原」は以前読んだことがありますが、小説の内容をかなり端折っているので、映画の前半は内容がよくわからないまま過ぎて行きました。
後半の関ヶ原の合戦はさすがに迫力がありました。

石田光成に岡田准一、徳川家康に役所広司、島左近に平岳大、小早川秀秋に東出昌大、直江兼続に松山ケンイチという豪華キャストそして柳生石舟斎役に辻萬長氏が貫録を見せていました。

印象に残ったのは家康役の役所広司の迫真の演技もさることながら、家来に「お肥りになられた」といわれたあと、着物を着換える場面で、醜い肥った腹を見せる場面がありました。
特殊メイクだとは思いますが、よくぞここまで、と思いました。

親戚のお寺はお寧と清正と家康が雑談する場面とお寧と甥の秀秋が話す場面に書院と庭が出てきました。それから、関ケ原の家康の本陣としてお寺の本堂が出てきました。
 

沈黙の王他

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月19日(日)14時13分19秒
返信・引用 編集済
  宮城谷氏の短編集を読みました。

文字を作った商(殷)王朝22代目高宗武丁(彼は言語障害であって)の物語「沈黙の王」、夏王朝の初期、中国で最初に弓矢を作った后げい(狩猟民族の首長)の物語「地中の火」、周王朝末期の鄭の国の鄭公・友が登場する連作「妖異記」と「豊饒の門」、そして絶世の美女、夏姫の娘で晋の名臣叔向の妻となる季けいが登場する「鳳凰の冠」以上5点が収録されていました。

短編集は寄せ集めなので、以前読んだ短編もありましたが、どこかで読んだなと思うぐらいで、詳しい内容までは覚えていませんでした。

では、「妖異記」の中の一節を引用します。

周の幽王の時代(BC780年)
この王は好悪の感情をあからさまにすることがあり、自分好みの物や人だけで身辺をかためようとしたことで、いわば偏失の代表者である。小智があるだけに凡庸な気格の王より始末が悪いといえた。

周の幽王は我が国のいまの指導者とそっくりなのに驚きました。
 

ひまじんさん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月19日(日)09時31分17秒
返信・引用
  ひまじんさんの高校は前身が大阪の旧制1中と伺っていましたが、男子は前年まで修学旅行はなかったんですか?
50年も前になると記憶は薄れてきますね。
私は金沢までは過去5回ぐらい行ったので覚えていますが、能登半島の奥のほうまではまさしく50年前に行ったきりです(七尾までは2年前に行きました)。
それでも、曽々木海岸は印象に残っています。

金沢城跡は戦後金沢大学が置かれ、平成8年から金沢城跡公園として整備が続けられており、整備が完了するのはいまから10年後だそうです。
ひまじんさんが訪問されたときは金沢大学だったんです。

金沢城は築城前は本願寺の御堂さんがあったそうです。これは、大阪城が石山本願寺の敷地のあとに作られたのと同じですね。
 

金沢

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年11月19日(日)08時44分53秒
返信・引用 編集済
  金沢は、高校の修学旅行で能登半島に行ったときに訪れました。

私たちの高校は、前年までは女子だけで修学旅行に行くことになっていました。
そして行先は九州でしたが、私たちの学年から男女で行くことになり、それも3年生では受験があるという事で、
2年のクラスで行きました。

行先は5コースぐらいあってその中からクラスごとに行き、私たちのクラスは能登半島に決まったのです。

もう50年も前のことです。記憶もだんだん薄れてくるようです。

金沢城、兼六園 輪島塗等は憶えていますが、食事は何を食べたのか全く覚えていません。

金沢城の中に金沢大学があったように記憶していますが、今でもあるのでしょうか。
 

金沢

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月17日(金)19時38分23秒
返信・引用
  金沢ははっきり覚えていないが今度で5度目の訪問だ。
知り合いもいないのにただ観光で訪れる場所としては多いほうだ。

金沢に魅かれるのは京都に似た雅さがあるからだ。
京都は近いので行く機会も多いが、春のさくらや秋の紅葉のシーズンは大都会東京のような人だかりとなり、とても風情など感じられない。
また、行楽の季節以外でも観光客でごった返しているので、京都を知り尽くした京都人が企画したもの以外は行かないことにしている。

その点金沢は程よくまとまった街で人もさほど多くなくまったりとした雰囲気に浸ることが出来る。

金沢が京都に似た雅さを持っている理由は、今回金沢城を見学した際ボランティアの方が教えてくれた。(大要以下の通り)
「金沢は加賀・前田百万国の城下町で初代は秀吉の友前田利家。そして、関ケ原の合戦以来天下一に名乗り出た徳川家康が江戸幕府を開いたあとも有力外様大名として加賀百万石を代々明治の廃藩置県まで守り抜いた。
その礎を築いたのは利家・利長・利常の三代藩主だ。徳川幕府は外様で勢力があった前田家を常に警戒してかかった。
前田家三代と徳川将軍家三代は年代がほぼ重なっている。
前田は徳川に絶対服従を図り、前田藩では武芸に励むことはせず、能や友禅や金箔塗りその他お菓子などに力を入れた。
金沢が京都に似せた町といわれる所以は徳川幕府から我が身を守るための苦肉の策であった」

金沢駅に降りて、まず驚いたことは人の多さだ。
46万人強の地方中核都市とは思えない駅コンコースや駅中売店の混雑ぶりだ。
私が2年前に訪れた時とはどこか様子が違う。
そして、それが確信に変わるのは金沢城と兼六園そして東茶屋街を見て廻った時だ。
外人観光客が非常に多くなった。
一見日本人と変わらないが言葉が違うアジア系の人達や皮膚の色や顔かたちで分かるヨーロッパ系の人達などが行きかう。
おそらく観光客の半数は外国人で占めていた。
政府は観光に力を入れているが、インターネットの普及などがそれに拍車をかけているように思われる。

金沢城

ボランティアの方が無料でお城を案内してくれた。
金沢城は関ケ原合戦の前に築城された古い城であるが、江戸時代から現存するものは石川門、三十軒長屋など少なくそれらは国の重要文化財になっている。
天主閣も築城時に作られたようだが、完成してすぐに落雷のため焼失し、そのご再建されていない。
そして、この城は明治4年に廃城となり、その後明治8年には陸軍歩兵第7連隊が置かれたり、明治31年には陸軍第9師団司令部が置かれ第2次大戦が終わるまで存続した。
戦後は金沢大学のキャンパスとして使われ、平成8年から金沢城址公園として整備が続けられている。

金沢城の復元には豊富な絵図面が役に立っているとのことであった。
発掘調査と絵図面から現在、当時とほぼ同じ形に復元されているとのことであった。
城の中には二の丸跡の広場が残っていたが、ここに殿さまの執務室や御居の間や奥があったようで、今後10年計画で復元していくということであった。

そのた、ボランティアの方は城に対する豊富な知識をお持ちで、城になまこ壁があったり、屋根が鉛で葺いてあったり、石垣に穴太衆が携わった可能性などなど多くの興味深い話を伺った。

兼六園

何度見ても飽きない庭園だ。
和服姿の3人の若い美しい女性がいたので、写真を撮らせてもらったが、彼女たちの許可を得ていないので掲載できないのが残念だ。

また、いまは丁度、木々の冬支度である金沢の風物詩「雪吊り」のシーズンで、庭師さんが木に登り「雪吊り」を作っているところにたまたま出くわした。
写真の一つはその作業を捕らえた貴重なものだ。

東茶屋街

ここは京都の祇園の雰囲気を漂わせている場所で、以前は人通りも少ないところをゆっくり歩き町独特の情緒を楽しめたが、今回は観光客でごった返してそういう雰囲気ではなかった。

近江市場

ここも、人の波で名物の魚料理店はどこも満員で入るのに待ち時間30分という状況であった。
以前来たときは待つことなく入れたし、値段も安かったように思う。
チラシ寿司の味の方はまあまあだった。

その他

(北陸ならではの味覚)
1日目の夜に入った居酒屋で店員さんが「珍しいものが入ったので是非食べてほしい」と薦めてくれた北陸のエビを刺身で食べた。
足が速いのか北陸以外では出回らないガスエビという名前のエビは甘くてさっぱりした味で、甘海老より美味しかった。
頭を揚げてもらったが、これがまた美味であった。

(お菓子)
金沢のお菓子は有名で少し値が張るが値段相当の美味しさがある。
タクシーの運転手さんお薦めの老舗の餡を求肥で包んだお菓子や東茶屋街で売っていた麩菓子など京都や滋賀のものにひけを取らない上品な味に仕上がっていた。
 

やまとなでしこさん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月16日(木)23時21分39秒
返信・引用
  英国で見た人形劇もロケットのようなものでしたか。
地対空ミサイルもロケットのようなものだし、イメージ的にはなんとなく、弾丸列車を想像させますね。

読んでくれて有り難うございます。
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年11月16日(木)21時34分0秒
返信・引用
  昔約40年前イギリスに住んでいた時の人形劇の題名がサンダーバードでした。ロケットみたいな乗り物でしたが。これとは関係ないですよね。(特撮「劇」です)  

金沢へ

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月16日(木)19時00分26秒
返信・引用
  サンダーバード

旧職場のOB5名で大阪から特急サンダーバードで金沢へ向かった。
このグループが一堂に集まれば雨が降る確率が高くなる。
今日も、雨模様だ。
また、もう一つの特徴として、好奇心旺盛な人たちで、常に疑問をぶつけあう。
深刻な話になることはほとんどなく、大体がどうでも良い話に終始するが、今回はJRの特急サンダーバードについてである。

大阪から北陸方面に向かう特急は以前「雷鳥」という名前で親しまれ、富山まで運行していた。
現在、その路線には「サンダーバード」という特急が大阪・金沢間を運行している。
大阪・富山間が大阪・金沢間に短縮されたのは、東京から金沢まで新幹線が運行したからである。
さて本題に戻ることにする。

サンダーバードは英語を日本語に訳すとサンダー(雷)バード(鳥)となり、雷鳥となる。
北陸線特急の愛称雷鳥は立山に棲む雷鳥からきていると思われる。
しかるに、サンダーバードは雷鳥のことではないか?
メンバーの一人が「雷鳥は日本固有の鳥ではなく、外国にも生息すると聞いている。
雷鳥の英語はサンダーバードではないのではないか。どうも、和製英語のように感じる」その時、雷鳥の英語名を知っているメンバーがいなかったので宿題となり、私は旅行記を書くつもりでいたので、帰ってきてから調べてみた。

雷鳥は英語でsnow grouseだった。
従って、サンダーバードは雷鳥ではなかった。
サンダーバードが和製英語なのかそれとも別の意味の言葉なのかは分からないし、分かっても何もならないのでこれ以上詮索するのは止めておく。

ここまで書いたところ、メールが入っていたので開いてみたら、旅行をご一緒した京都の方からのメールで、サンダーバードについて調べてくださっていました。(以下の通り)
ーーー帰りの列車の中での話題を思い出して少し調べてみました。
雷鳥は英語ではgrouseと云うようです。
thunderは雷鳴を意味し稲妻はlightningと云うらしいです。
尚thunderbirdという言葉もあってキバラモズヒタキ(何やらよくわかりませんが鳥の名前らしい)又はカミナリ鳥を意味するようです。
また他に英国製の地対空ミサイルについている名前でもあるとのことです。(これらの知識はいずれも手元の辞書による)
どちらが先に命名したのかはわかりませんがthunderbirdはミサイルだったのです。
以上〝余計なお世話〟でした。ーーー


カミナリ鳥とはいかなる鳥なのか?村上春樹氏の小説「ねじまき鳥」に似た鳥なのか?謎は深まるばかりです。
また、サンダーバードが英国製の地対空ミサイルについている名前だとは(絶句)

JRの命名の真実について、興味はあるけれど調べるつもりはないので、謎を残したままこれ以上追及することはいたしません。
 

佐高同窓会

 投稿者:KAI  投稿日:2017年11月14日(火)21時51分25秒
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  佐賀高校13回生卒業55年記念同窓会が11月12~13日に開催され、出席しましたので、報告します。

 懇親会はホテルニューオータニ佐賀で夕方5時から、辻萬長氏の開会宣言で始まりました。祝舞を山口一枝様が踊った後、北島恭一実行委員長の挨拶がありました。今迄同窓会を支えてくれていた平方様他幾人かが亡くなられたそうで、皆で黙祷を捧げました。彼のメッセージによると「まだ、皆さんはこっちに来んでよか」そうです。

 余興として、佐賀組の面浮流が披露され、次に東京組の佐賀弁の掛け合い及び「恋ダンス」が行われました。この掛け合いは、関東からの出席者全員が近況を面白、可笑しく表現したもので、私も参加しました。脚本は辻萬長氏と森下禮子氏が取り纏めたもので、両氏の熱烈な指導の元に、東京で1回、佐賀で1回、更に懇親会の前に1回と練習会が催され、皆様上手く演じていました。しかし、式が始まって既に大分時間が経っていたため、旧知どうしの私的話も夫々弾んでおり、聞いてない、又、聞こえてない人もかなりいたのが残念でした。

 その他余興として、津軽三味線、たんす長持ち歌等があり、締めくくりに旧コーラス部が「今日の日はさようなら」と「佐高校歌」を歌いました。次回を5年後に60周年として企画するそうです。

 2次会は、引き続き同ホテルのすぐ隣の部屋で、9時頃まで行われました。出席者は1次会約140人、2次会約80人程度で、うち女性は4割程度でした。1次会は出身クラス別のテーブルでしたが、2次会は自由に座れました。同窓会の良いところは「ほのかな甘いときめき」と言われ、女性の方は目一杯おめかしし、着物の方も大勢いらっしゃったにもかかわらず、この同窓会では、男性と女性はほとんど別のテーブルに座りました。2次会は懇談が主で、特に出し物はなく、カラオケを数人の方が歌っていました。

 3次会はカラオケ店に行くこととなり、20名程度が参加しましたが、女性はほとんど隣の部屋に行ってしまいました。
かなり泥酔した方もいらっしゃいましたが、盛り上がって、ホテルに帰ったのは12時過ぎでした。

 次の日は、世界遺産に登録された三重津海軍所跡と付属の佐野常民記念館及び三池炭鉱の歴史を学べる大牟田市石炭産業科学館を訪れるツアーに参加しました。同窓会企画者が世界遺産登録に尽力されたそうで、説明にも力が入っており、興味深く見聞しました。
 

やまとなでしこ様

 投稿者:トト  投稿日:2017年11月14日(火)01時12分3秒
返信・引用 編集済
  それは良かったです。

パソコンは時々不具合になり、これを修理するのは容易ではありません。特にデータ
が壊れたときは全く途方にくれます。

元に戻ってよかったですねえ!
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年11月12日(日)00時28分4秒
返信・引用
  こんばんわ。見事な満天星つつじですね。やっと、パソコンの修理が終わりました。今まで使っていた プロバイダーからocnに変えました。アドレス変更のメールをお友達に送る仕事がこれまた大変です。  

見事な秋色

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月11日(土)20時24分46秒
返信・引用
  立冬の11月7日、朝日新聞夕刊の第1面(大阪版)に真紅の写真が載りました。
兵庫県北部豊岡市但東町の安国禅寺で、真っ赤に紅葉したドウダンツツジの写真でした。新聞によるとこのドウダンツツジは樹齢100年を超え、寺の裏庭の山の約10メートル四方に枝を伸ばしているということでした。

この写真に誘われて早速行って来ました。
写真の女性と子供達(親子?)は一般客です。
 

「今日の会話」

 投稿者:トト  投稿日:2017年11月10日(金)20時01分11秒
返信・引用
  (出勤前にネクタイの裏側の糸がほどけているので縫ってもらうようにお願いしました。すると立派な裁縫箱が出てきたのです。そして縫ってくれました。)
私・・・・「裁縫箱を持っていたの?」
家内・・・「そう、結婚の時に持ってきたの」
私・・・・「裁縫もするのか!すごいねえ」
家内・・・「持っているからと言って、できるかどうかは別よ、持っていると出来るように見えるでしょ、人間は見栄えが大事!」
 

松山・宇和島・呉 4

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月10日(金)07時38分21秒
返信・引用
 

宇和島から松山に戻りそこから船に乗って呉に向かった。
松山から広島へは定期航路があり、途中呉にも停泊する。
松山から広島への航路は連絡橋で結ばれた今治・尾道ルートの西側を通るが、こちらも島々が数多くあり、波穏やかな船上の眺めは素晴らしい。
ただし、この航路は今治・尾道ルート(しまなみハイウエイ)と競合するのか、利用者はまばらであった。
秋は日没が早い。
松山から二時間の船旅で呉に到着した6時45分には辺りはすっかり暗くなっていた。

JR呉駅前のビジネスホテルが今日の宿泊地だ。
呉港から呉駅まではデッキで結ばれていた。
歩いてみて初めて分かったがこのデッキは相当長い距離だった。
地方都市にしては社会資本が充実している。
また、明日見学する「大和ミュージアム」で開かれている戦艦大和の最新の潜水調査(第3回)も呉市が独自に行っている。
呉市の財政は豊かなのか?国とのパイプが太いのか?色々考えてしまった。

ホテルでチェックインしたらそろそろ夕食の時間だ。
フロントで聞いた中華料理の店に向かった。
四川飯店は陳建一の店で東京・横浜に沢山の店舗がある。また、名古屋や博多など地方にもチエーン店があり呉店もその一つだった。
四川料理そして陳建一といえば麻婆豆腐なのでこれは外せない。そして、他に2,3品と生ビールを注文した。
この店の麻婆豆腐は相当辛いらしいので、店の人のはからいで麻婆豆腐は辛さを控えめにしてもらった。

辛さ控えめの麻婆豆腐に、店の人の薦めで山椒を少しかけたら、極上の麻婆豆腐に仕上がった。
麻婆豆腐はポピュラーな料理なので今まであちこちで食べてきたが、この店のものが一番おいしかった。
美味しい食べ物は人を幸せにすると言われるが、まさしくそのとおりであった。

翌日呉駅からすぐの大和ミュージアムに行った。

呉は明治時代以来戦前まで鎮守府が置かれた場所である。また戦前は呉海軍工廠において「戦艦大和」などが建造され、東洋一の軍港・日本一の工廠として知られていた。
「大和ミュージアム」はこの戦艦大和からとった名前であろう。
ミュージアムのなかは戦艦大和の1/10の模型やゼロ戦や人間魚雷回天やイ号潜水艦の模型その他魚雷や戦艦の主砲弾などが広い建物に所狭しと配置されていた。
そして、回天の傍には回天に乗り死んでいった若者の手記が添えられていた。
人間の尊厳を踏みにじる行為を犯した戦争指導者には改めて強い怒りを感じた。

また、当ミュージアムでは鹿児島県沖で沈没した戦艦大和の第3回潜水調査の資料が展示されていた。
大和は海底深く眠っており、かつ、巨大な鉄の塊だけに引き上げることは不可能だ。
その代り沈没した大和の船首部分の模型などが最新の3D技術を駆使して造られ陳列されていた。
爆撃で歪んだ、菊の紋章で飾られた船首部分は、巨大で見る者を圧倒する。

このミュージアムを見学してみて感じたことだが、このミュージアムは戦争に対する賛美や否定の自己主張はなく、見るものの判断に任せてあるように私には思えた。

私は勿論、戦争は二度と侵してはならないと思っている者の一人である。
また、このミュージアムを見学し、当時の日本の技術力が相当なハイレベルに達していたことを肌で感じた。

画像下段は海底に沈む大和の船首部分を3Dを駆使して再現した実物大の模型。
 

松山・宇和島・呉 3

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 9日(木)09時12分21秒
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  宇和島

宇和島は今度で2度目だ。
1度目は20代後半の時に訪れたから、もう40年以上前になる。
あの時は神楽坂のトトさんと彼の職場関係の人達とご一緒したと記憶している。
時の経過は非情にも記憶を消してしまう。
当時は本州と四国を結ぶ橋は無かったので、当然船で渡ることになるが、どこからフェリーに乗り、四国のどこの港についたのかとんと記憶にない。
あまつさえ、目的地である宇和島の南、西海へは途中宇和島を通るので、市内のそれも宇和島のシンボルである宇和島城は車中からでも見ているはずであるが漆黒の闇の中に消し去られている。
かすかに覚えているのは、西海の民宿近くで泳いだりコッパグレを釣ったり、民宿の夕食にチヌやグレの煮つけが出てきて美味しく食べたことぐらいである。
尤も、若い頃は名所旧跡を訪ね歩くよりも、キャンプ地にテントを張って泳ぐなどより行動的なことをしていたと思う。

宇和島城は80mの丘の上に築城の名手藤堂高虎によって築かれ、天守閣は重要文化財に指定されている。
宇和島藩は仙台藩伊達正宗の流れをくむ伊達氏が藩主(城主)として明治維新まで封じてきた。
幕末の城主伊達宗城(むねなり)は幕末の名君として小説などにも登場する人物である。
お城の近くに立派な庭園があったので行って見た。
パンフレットによると、本園は1672年宇和島藩二代藩主宗利が造成した浜御殿の一部を七代藩主宗紀が大改造を行い1866年に「天赦園」と命名し竣工したとある。
1.1ha強の池泉廻遊式庭園で小都市宇和島には過ぎたるものに思えた。

ここでも、一風変わったエピソードを紹介する。

旅行前に友人の一人が調べてくれた観光案内には、和霊神社は「四国でも指折りの神社」「川には太鼓橋が架かり、石造りでは日本一の大きさといわれる大鳥居」などキャッチコピーが並んでいた。

地図を見るとお城から天赦園までの途中に和霊神社はあることになっている。
四つ角の和霊神社というバス停の傍にそこはあった。
成る程鳥居があり神社があった。
しかしながら、川に架かる太鼓橋はなく、鳥居や社も貧弱だ。社務所に聞いてみると、ぞんざいな態度で「それは川向こうにある」という返事であった。
近くに川はないし、狐につままれたような気分になったが、後程確認することにして天赦園に向かった。

天赦園を見学後「川向こう」という言葉を頼りに社務所の人が指し示した方角へ歩を進めた。
行けども行けども川らしきものは見えてこない。

私達はついに出発点の宇和島駅の近くまで来てしまった。
そのとき、ようやく駅の反対側に川があることが分かり、暫く歩くと大きな清流に架かる太鼓橋が見えてきた。立派な石造りの鳥居もある。太鼓橋を渡って立派な神社にたどり着いた。
境内で、お守り札を売っている神社の方に、「もう一つの和霊神社」のことを聞いてみたら、愛想よく「あちらは昔から神社関係者が住んでいるところです」という返事が返ってきた。
住まいであれば、家屋敷だけで良さそうなものを、わざわざ何故鳥居や社まで構えたんだろう。根掘り葉掘り聞くのも野暮だと思い、このことは聞かなかった。
 

松山・宇和島・呉 2

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 8日(水)14時24分37秒
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  松山

坊ちゃん、子規、温泉に代表される松山は台風一過の秋晴れであった。

「松山や 秋より高き 天主閣」
子規のこの句が表す通り、青い空に堂々たる天主がそびえていた。

132mの小高い山の上に立つ30mの天主閣は、町のどこからでも見通せるまさしく松山のシンボルだ。

この城は漱石や子規や秋山兄弟が生きた時代より約300年古い、慶長7年(1602年)(関ヶ原の合戦の2年後)秀吉の子飼いで賤ヶ岳の7本槍で有名な加藤嘉明により築城された。

現在は江戸時代に再建された天守や城門、櫓など21棟が重要文化財に指定されている。天守はどっしりした構えの建物で、他の城の天守閣とは少し趣を異にするように感じられた。
また、城の石垣の組み方は素晴らしく、大坂城の石垣などを手がけた穴太衆の影響を受けているのではないかと思った(これは感じただけで確かめたわけではありません)。

今日は連休明けの11月7日火曜日である。
観光地の施設は無休のところもあるが、概して月曜か火曜を定休日にするところが多い。私たちは司馬遼太郎の日露戦争をテーマにした長編小説「坂の上の雲」ゆかりの資料を展示する「坂の上の雲ミュージアム」と「正岡子規記念館」を見学するつもりであったが、「正岡子規記念館」は定休日であった。

「坂の上の雲ミュージアム」は小説の主人公の秋山好古、秋山真之兄弟の資料や友人正岡子規の資料などが展示されていた。
膨大な資料となっていたが、安藤忠雄氏設計のミュージアムは安藤氏独特の設計のため、途中どこを通っているのか分からなくなりそうになった。

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は3人とも読んでいるので、3者3様の感じ方があったと思っている。

お城と坂の上の雲ミュージアムは松山の中心地、大街道(おおかいどう)の近くにある。繁華街大街道はアーケードのある商店街であるが、アーケードの高さや道路の広さは、私が今まで見てきたどこのアーケード街より広くて高かった。念のため東京の二人にも聞いてみたが、これだけの規模のものは見たことがないという感想だった。
おそらく日本有数のアーケード街だと思う。また、地方都市によくみられるシャッター街ではなく、シャッターが降りている店はなかった。

私達はタクシーで道後温泉に向かった。
ぼっちゃんで有名な道後温泉本館は観光客の人だかりができていて、本館の公衆浴場は芋の子を洗うようになっていると友人の一人が言ったので、近くの旅館で日帰り温泉を楽しんだ。さすがに名湯でいつまでもポカポカと暖かかった。

ここで、エピソードを紹介しよう。

友人の一人がロッカーの鍵を手にしていた。
何処のロッカーの鍵なのか聞いてみると、「昨年行った武雄温泉のロッカーの鍵」だと言うのである。
昨年彼は武雄温泉で脱衣所のロッカーの鍵を紛失し、鍵の交換費用を弁償させられている。
「どこから出てきた」のか聞いたら、鍵はなんと「二の腕の一番上の肩」で見つかったというのである。ゆるゆるのバンドが付いた鍵は服の摩擦で上に上がり、ついに肩まで達したのだ。
家に帰り服を脱いで初めて分かったそうだが、こういうこともあるとは驚いた。

もう一人の友人が教えてくれたが、これに似た現象で「ワイシャツを腕まくりして顔を洗ったら、まくったシャツが落ちてきて困ることがある」「この場合、ワイシャツを反対側に折り曲げたら決して落ちてこない」ということであった。
これから、長袖のシャツを着る機会が多くなるので良いことを聞いたと思っている。

帰りはちんちん電車(懐かしい)で大街道まで戻り、そこで、愛媛の名物料理「鯛めし」を食べた。
愛媛に来たら一度は食べてほしいと地元の人が言っていた。
私達は翌日の宇和島でも食べたので一度ならず2度までも鯛めしを食べたことになる。
「鯛めし」・・・卵を溶いた出汁の器に鯛の刺身とネギやワカメなど薬味を全て入れ、それをアツアツのご飯にかけて食べる。
豊後水道の鯛は古くから愛媛のご馳走になっているようだ。
 

松山・宇和島・呉

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 6日(月)22時00分27秒
返信・引用
  旅のはじめ

四国へは本州から3つのルートにより海に架かる橋を渡っていけるようになって久しい。東から順に、神戸舞子から淡路島を経由して鳴門へ、岡山児島から香川宇多津へそして通称しまなみ海道といわれる尾道から6つの島を経由して今治に至る3つのルートである。これらはそれぞれに特徴があるが、今回の旅行では神戸から松山まで鉄道1本で行くことが出来た。
つまり、新幹線で新神戸から岡山へ行き、岡山で松山行に乗り換えて松山まで行くことが出来るのである。
途中、先ほど紹介した橋のうち児島ー宇多津に架かる瀬戸大橋を利用するわけである。

私は過去3つのルートとも車を利用して四国に行ったことがあるが、鉄道利用は今回が初めてであった。
本州と四国を結ぶ鉄道は3つのうち鉄道併用の瀬戸大橋だけである。
電車で瀬戸内海を渡る場合は車と違い×印が並んだ所謂鉄橋と同じで、車窓からは鋼鉄の×印の間から瀬戸内の美しい景色を見ることが出来る。

ちょっと珍しい写真が撮れそうなので棚の上に置いたリュックからカメラを出そうと思ったが、電車の速度が速く、まもなく到着するのではないかと出さずにいたら、宇多津まで結構長くかかった。カメラを出すタイミングを逸してしまったのは残念であった。

四国では予讃線を通って松山まで行くことになるが、予讃線は単線であった。
四国随一の幹線鉄道が単線だとは驚きであった。
尤も単線独特の途中駅での待ち合わせがなかったのはラッキーであった。

松山駅で東京から飛行機で来た2人と合流した。
 

華栄の丘

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 5日(日)09時38分40秒
返信・引用
  宮城谷昌光氏の「華栄の丘」を読みました。
宮城谷氏の小説は「太公望」や「楽毅」や「孟嘗君」などの長編から読み始めましたので、中編小説で未読のものが残っています。
この小説はその一つです。

巻末に本のあらすじが書いてありましたので引用します。
ーー争いを好まず、あえて負けを選ぶことで真の勝ちを得る。
乱世にあって自らの信念を曲げることなく、詐術とは無縁のままに生き抜いた小国・宋の名宰相、華元。
名君文公を助け、ついには大国晋と楚の和睦を実現させた男の奇蹟の生涯を、さわやかに描く中国古代(春秋時代)の王朝譚。司馬遼太郎賞を受賞した名作。ーー

(宮城谷作品の特徴)
宮城谷氏の小説には随所に難しい漢字が出てきます。
例えば「慍然とする」「洞然となる」「豁然とする」「哂笑する」などです。
これらは顔の表情ですが、慣れたら読んでいて人物の豊かな表情が現れてきます。
 

表紙の写真

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 4日(土)14時46分38秒
返信・引用
  秋を代表する菊の花が鮮やかに咲いていますね。
シュウメイギクは京都北部の田舎、芹生の民宿で初めて見ました。
そのとき、「これは珍しい花です」と宿の人が言っていましたが、別名貴船菊ですよね。
 

やまとなでしこさん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 4日(土)14時40分4秒
返信・引用
  グレービーソースの解説有難うございます。
名前は知らなかったけど食べたことあります。

一昨日まで愛媛と広島を旅行していました。
雑事に追われて暫くばたばたしそうですが、旅行記を見てくれている方たちがいますので、なるべく早い機会に、忘れないうちに書こうと思っています。
 

グレービーソース

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年11月 3日(金)23時57分24秒
返信・引用
  一月前の関ヒマ様の質問に、少しお答えします。ローストビーフを焼くときにできる汁がグレービーソースです。お店により少しあじがちがいます。大きな皿にローストビーフとヨークシャープディングとマッシュポテト等にグレー
ビーソースが掛けられて出てきます。
パソコンはまだ修理中、携帯でお邪魔しました。
 

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