投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


映画「関ケ原」

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月19日(日)20時51分59秒
返信・引用
  司馬遼太郎原作の小説の完全映画化「関ケ原」を見てきました。
映画はあまり見ないので、見るつもりはなかったが、親戚のお寺が映画に出ているということなので見てきました。

司馬遼太郎の長編小説「関ケ原」は以前読んだことがありますが、小説の内容をかなり端折っているので、映画の前半は内容がよくわからないまま過ぎて行きました。
後半の関ヶ原の合戦はさすがに迫力がありました。

石田光成に岡田准一、徳川家康に役所広司、島左近に平岳大、小早川秀秋に東出昌大、直江兼続に松山ケンイチという豪華キャストそして柳生石舟斎役に辻萬長氏が貫録を見せていました。

印象に残ったのは家康役の役所広司の迫真の演技もさることながら、家来に「お肥りになられた」といわれたあと、着物を着換える場面で、醜い肥った腹を見せる場面がありました。
特殊メイクだとは思いますが、よくぞここまで、と思いました。

親戚のお寺はお寧と清正と家康が雑談する場面とお寧と甥の秀秋が話す場面に書院と庭が出てきました。それから、関ケ原の家康の本陣としてお寺の本堂が出てきました。
 

沈黙の王他

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月19日(日)14時13分19秒
返信・引用 編集済
  宮城谷氏の短編集を読みました。

文字を作った商(殷)王朝22代目高宗武丁(彼は言語障害であって)の物語「沈黙の王」、夏王朝の初期、中国で最初に弓矢を作った后げい(狩猟民族の首長)の物語「地中の火」、周王朝末期の鄭の国の鄭公・友が登場する連作「妖異記」と「豊饒の門」、そして絶世の美女、夏姫の娘で晋の名臣叔向の妻となる季けいが登場する「鳳凰の冠」以上5点が収録されていました。

短編集は寄せ集めなので、以前読んだ短編もありましたが、どこかで読んだなと思うぐらいで、詳しい内容までは覚えていませんでした。

では、「妖異記」の中の一節を引用します。

周の幽王の時代(BC780年)
この王は好悪の感情をあからさまにすることがあり、自分好みの物や人だけで身辺をかためようとしたことで、いわば偏失の代表者である。小智があるだけに凡庸な気格の王より始末が悪いといえた。

周の幽王は我が国のいまの指導者とそっくりなのに驚きました。
 

ひまじんさん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月19日(日)09時31分17秒
返信・引用
  ひまじんさんの高校は前身が大阪の旧制1中と伺っていましたが、男子は前年まで修学旅行はなかったんですか?
50年も前になると記憶は薄れてきますね。
私は金沢までは過去5回ぐらい行ったので覚えていますが、能登半島の奥のほうまではまさしく50年前に行ったきりです(七尾までは2年前に行きました)。
それでも、曽々木海岸は印象に残っています。

金沢城跡は戦後金沢大学が置かれ、平成8年から金沢城跡公園として整備が続けられており、整備が完了するのはいまから10年後だそうです。
ひまじんさんが訪問されたときは金沢大学だったんです。

金沢城は築城前は本願寺の御堂さんがあったそうです。これは、大阪城が石山本願寺の敷地のあとに作られたのと同じですね。
 

金沢

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年11月19日(日)08時44分53秒
返信・引用 編集済
  金沢は、高校の修学旅行で能登半島に行ったときに訪れました。

私たちの高校は、前年までは女子だけで修学旅行に行くことになっていました。
そして行先は九州でしたが、私たちの学年から男女で行くことになり、それも3年生では受験があるという事で、
2年のクラスで行きました。

行先は5コースぐらいあってその中からクラスごとに行き、私たちのクラスは能登半島に決まったのです。

もう50年も前のことです。記憶もだんだん薄れてくるようです。

金沢城、兼六園 輪島塗等は憶えていますが、食事は何を食べたのか全く覚えていません。

金沢城の中に金沢大学があったように記憶していますが、今でもあるのでしょうか。
 

金沢

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月17日(金)19時38分23秒
返信・引用
  金沢ははっきり覚えていないが今度で5度目の訪問だ。
知り合いもいないのにただ観光で訪れる場所としては多いほうだ。

金沢に魅かれるのは京都に似た雅さがあるからだ。
京都は近いので行く機会も多いが、春のさくらや秋の紅葉のシーズンは大都会東京のような人だかりとなり、とても風情など感じられない。
また、行楽の季節以外でも観光客でごった返しているので、京都を知り尽くした京都人が企画したもの以外は行かないことにしている。

その点金沢は程よくまとまった街で人もさほど多くなくまったりとした雰囲気に浸ることが出来る。

金沢が京都に似た雅さを持っている理由は、今回金沢城を見学した際ボランティアの方が教えてくれた。(大要以下の通り)
「金沢は加賀・前田百万国の城下町で初代は秀吉の友前田利家。そして、関ケ原の合戦以来天下一に名乗り出た徳川家康が江戸幕府を開いたあとも有力外様大名として加賀百万石を代々明治の廃藩置県まで守り抜いた。
その礎を築いたのは利家・利長・利常の三代藩主だ。徳川幕府は外様で勢力があった前田家を常に警戒してかかった。
前田家三代と徳川将軍家三代は年代がほぼ重なっている。
前田は徳川に絶対服従を図り、前田藩では武芸に励むことはせず、能や友禅や金箔塗りその他お菓子などに力を入れた。
金沢が京都に似せた町といわれる所以は徳川幕府から我が身を守るための苦肉の策であった」

金沢駅に降りて、まず驚いたことは人の多さだ。
46万人強の地方中核都市とは思えない駅コンコースや駅中売店の混雑ぶりだ。
私が2年前に訪れた時とはどこか様子が違う。
そして、それが確信に変わるのは金沢城と兼六園そして東茶屋街を見て廻った時だ。
外人観光客が非常に多くなった。
一見日本人と変わらないが言葉が違うアジア系の人達や皮膚の色や顔かたちで分かるヨーロッパ系の人達などが行きかう。
おそらく観光客の半数は外国人で占めていた。
政府は観光に力を入れているが、インターネットの普及などがそれに拍車をかけているように思われる。

金沢城

ボランティアの方が無料でお城を案内してくれた。
金沢城は関ケ原合戦の前に築城された古い城であるが、江戸時代から現存するものは石川門、三十軒長屋など少なくそれらは国の重要文化財になっている。
天主閣も築城時に作られたようだが、完成してすぐに落雷のため焼失し、そのご再建されていない。
そして、この城は明治4年に廃城となり、その後明治8年には陸軍歩兵第7連隊が置かれたり、明治31年には陸軍第9師団司令部が置かれ第2次大戦が終わるまで存続した。
戦後は金沢大学のキャンパスとして使われ、平成8年から金沢城址公園として整備が続けられている。

金沢城の復元には豊富な絵図面が役に立っているとのことであった。
発掘調査と絵図面から現在、当時とほぼ同じ形に復元されているとのことであった。
城の中には二の丸跡の広場が残っていたが、ここに殿さまの執務室や御居の間や奥があったようで、今後10年計画で復元していくということであった。

そのた、ボランティアの方は城に対する豊富な知識をお持ちで、城になまこ壁があったり、屋根が鉛で葺いてあったり、石垣に穴太衆が携わった可能性などなど多くの興味深い話を伺った。

兼六園

何度見ても飽きない庭園だ。
和服姿の3人の若い美しい女性がいたので、写真を撮らせてもらったが、彼女たちの許可を得ていないので掲載できないのが残念だ。

また、いまは丁度、木々の冬支度である金沢の風物詩「雪吊り」のシーズンで、庭師さんが木に登り「雪吊り」を作っているところにたまたま出くわした。
写真の一つはその作業を捕らえた貴重なものだ。

東茶屋街

ここは京都の祇園の雰囲気を漂わせている場所で、以前は人通りも少ないところをゆっくり歩き町独特の情緒を楽しめたが、今回は観光客でごった返してそういう雰囲気ではなかった。

近江市場

ここも、人の波で名物の魚料理店はどこも満員で入るのに待ち時間30分という状況であった。
以前来たときは待つことなく入れたし、値段も安かったように思う。
チラシ寿司の味の方はまあまあだった。

その他

(北陸ならではの味覚)
1日目の夜に入った居酒屋で店員さんが「珍しいものが入ったので是非食べてほしい」と薦めてくれた北陸のエビを刺身で食べた。
足が速いのか北陸以外では出回らないガスエビという名前のエビは甘くてさっぱりした味で、甘海老より美味しかった。
頭を揚げてもらったが、これがまた美味であった。

(お菓子)
金沢のお菓子は有名で少し値が張るが値段相当の美味しさがある。
タクシーの運転手さんお薦めの老舗の餡を求肥で包んだお菓子や東茶屋街で売っていた麩菓子など京都や滋賀のものにひけを取らない上品な味に仕上がっていた。
 

やまとなでしこさん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月16日(木)23時21分39秒
返信・引用
  英国で見た人形劇もロケットのようなものでしたか。
地対空ミサイルもロケットのようなものだし、イメージ的にはなんとなく、弾丸列車を想像させますね。

読んでくれて有り難うございます。
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年11月16日(木)21時34分0秒
返信・引用
  昔約40年前イギリスに住んでいた時の人形劇の題名がサンダーバードでした。ロケットみたいな乗り物でしたが。これとは関係ないですよね。(特撮「劇」です)  

金沢へ

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月16日(木)19時00分26秒
返信・引用
  サンダーバード

旧職場のOB5名で大阪から特急サンダーバードで金沢へ向かった。
このグループが一堂に集まれば雨が降る確率が高くなる。
今日も、雨模様だ。
また、もう一つの特徴として、好奇心旺盛な人たちで、常に疑問をぶつけあう。
深刻な話になることはほとんどなく、大体がどうでも良い話に終始するが、今回はJRの特急サンダーバードについてである。

大阪から北陸方面に向かう特急は以前「雷鳥」という名前で親しまれ、富山まで運行していた。
現在、その路線には「サンダーバード」という特急が大阪・金沢間を運行している。
大阪・富山間が大阪・金沢間に短縮されたのは、東京から金沢まで新幹線が運行したからである。
さて本題に戻ることにする。

サンダーバードは英語を日本語に訳すとサンダー(雷)バード(鳥)となり、雷鳥となる。
北陸線特急の愛称雷鳥は立山に棲む雷鳥からきていると思われる。
しかるに、サンダーバードは雷鳥のことではないか?
メンバーの一人が「雷鳥は日本固有の鳥ではなく、外国にも生息すると聞いている。
雷鳥の英語はサンダーバードではないのではないか。どうも、和製英語のように感じる」その時、雷鳥の英語名を知っているメンバーがいなかったので宿題となり、私は旅行記を書くつもりでいたので、帰ってきてから調べてみた。

雷鳥は英語でsnow grouseだった。
従って、サンダーバードは雷鳥ではなかった。
サンダーバードが和製英語なのかそれとも別の意味の言葉なのかは分からないし、分かっても何もならないのでこれ以上詮索するのは止めておく。

ここまで書いたところ、メールが入っていたので開いてみたら、旅行をご一緒した京都の方からのメールで、サンダーバードについて調べてくださっていました。(以下の通り)
ーーー帰りの列車の中での話題を思い出して少し調べてみました。
雷鳥は英語ではgrouseと云うようです。
thunderは雷鳴を意味し稲妻はlightningと云うらしいです。
尚thunderbirdという言葉もあってキバラモズヒタキ(何やらよくわかりませんが鳥の名前らしい)又はカミナリ鳥を意味するようです。
また他に英国製の地対空ミサイルについている名前でもあるとのことです。(これらの知識はいずれも手元の辞書による)
どちらが先に命名したのかはわかりませんがthunderbirdはミサイルだったのです。
以上〝余計なお世話〟でした。ーーー


カミナリ鳥とはいかなる鳥なのか?村上春樹氏の小説「ねじまき鳥」に似た鳥なのか?謎は深まるばかりです。
また、サンダーバードが英国製の地対空ミサイルについている名前だとは(絶句)

JRの命名の真実について、興味はあるけれど調べるつもりはないので、謎を残したままこれ以上追及することはいたしません。
 

佐高同窓会

 投稿者:KAI  投稿日:2017年11月14日(火)21時51分25秒
返信・引用 編集済
  佐賀高校13回生卒業55年記念同窓会が11月12~13日に開催され、出席しましたので、報告します。

 懇親会はホテルニューオータニ佐賀で夕方5時から、辻萬長氏の開会宣言で始まりました。祝舞を山口一枝様が踊った後、北島恭一実行委員長の挨拶がありました。今迄同窓会を支えてくれていた平方様他幾人かが亡くなられたそうで、皆で黙祷を捧げました。彼のメッセージによると「まだ、皆さんはこっちに来んでよか」そうです。

 余興として、佐賀組の面浮流が披露され、次に東京組の佐賀弁の掛け合い及び「恋ダンス」が行われました。この掛け合いは、関東からの出席者全員が近況を面白、可笑しく表現したもので、私も参加しました。脚本は辻萬長氏と森下禮子氏が取り纏めたもので、両氏の熱烈な指導の元に、東京で1回、佐賀で1回、更に懇親会の前に1回と練習会が催され、皆様上手く演じていました。しかし、式が始まって既に大分時間が経っていたため、旧知どうしの私的話も夫々弾んでおり、聞いてない、又、聞こえてない人もかなりいたのが残念でした。

 その他余興として、津軽三味線、たんす長持ち歌等があり、締めくくりに旧コーラス部が「今日の日はさようなら」と「佐高校歌」を歌いました。次回を5年後に60周年として企画するそうです。

 2次会は、引き続き同ホテルのすぐ隣の部屋で、9時頃まで行われました。出席者は1次会約140人、2次会約80人程度で、うち女性は4割程度でした。1次会は出身クラス別のテーブルでしたが、2次会は自由に座れました。同窓会の良いところは「ほのかな甘いときめき」と言われ、女性の方は目一杯おめかしし、着物の方も大勢いらっしゃったにもかかわらず、この同窓会では、男性と女性はほとんど別のテーブルに座りました。2次会は懇談が主で、特に出し物はなく、カラオケを数人の方が歌っていました。

 3次会はカラオケ店に行くこととなり、20名程度が参加しましたが、女性はほとんど隣の部屋に行ってしまいました。
かなり泥酔した方もいらっしゃいましたが、盛り上がって、ホテルに帰ったのは12時過ぎでした。

 次の日は、世界遺産に登録された三重津海軍所跡と付属の佐野常民記念館及び三池炭鉱の歴史を学べる大牟田市石炭産業科学館を訪れるツアーに参加しました。同窓会企画者が世界遺産登録に尽力されたそうで、説明にも力が入っており、興味深く見聞しました。
 

やまとなでしこ様

 投稿者:トト  投稿日:2017年11月14日(火)01時12分3秒
返信・引用 編集済
  それは良かったです。

パソコンは時々不具合になり、これを修理するのは容易ではありません。特にデータ
が壊れたときは全く途方にくれます。

元に戻ってよかったですねえ!
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年11月12日(日)00時28分4秒
返信・引用
  こんばんわ。見事な満天星つつじですね。やっと、パソコンの修理が終わりました。今まで使っていた プロバイダーからocnに変えました。アドレス変更のメールをお友達に送る仕事がこれまた大変です。  

見事な秋色

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月11日(土)20時24分46秒
返信・引用
  立冬の11月7日、朝日新聞夕刊の第1面(大阪版)に真紅の写真が載りました。
兵庫県北部豊岡市但東町の安国禅寺で、真っ赤に紅葉したドウダンツツジの写真でした。新聞によるとこのドウダンツツジは樹齢100年を超え、寺の裏庭の山の約10メートル四方に枝を伸ばしているということでした。

この写真に誘われて早速行って来ました。
写真の女性と子供達(親子?)は一般客です。
 

「今日の会話」

 投稿者:トト  投稿日:2017年11月10日(金)20時01分11秒
返信・引用
  (出勤前にネクタイの裏側の糸がほどけているので縫ってもらうようにお願いしました。すると立派な裁縫箱が出てきたのです。そして縫ってくれました。)
私・・・・「裁縫箱を持っていたの?」
家内・・・「そう、結婚の時に持ってきたの」
私・・・・「裁縫もするのか!すごいねえ」
家内・・・「持っているからと言って、できるかどうかは別よ、持っていると出来るように見えるでしょ、人間は見栄えが大事!」
 

松山・宇和島・呉 4

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月10日(金)07時38分21秒
返信・引用
 

宇和島から松山に戻りそこから船に乗って呉に向かった。
松山から広島へは定期航路があり、途中呉にも停泊する。
松山から広島への航路は連絡橋で結ばれた今治・尾道ルートの西側を通るが、こちらも島々が数多くあり、波穏やかな船上の眺めは素晴らしい。
ただし、この航路は今治・尾道ルート(しまなみハイウエイ)と競合するのか、利用者はまばらであった。
秋は日没が早い。
松山から二時間の船旅で呉に到着した6時45分には辺りはすっかり暗くなっていた。

JR呉駅前のビジネスホテルが今日の宿泊地だ。
呉港から呉駅まではデッキで結ばれていた。
歩いてみて初めて分かったがこのデッキは相当長い距離だった。
地方都市にしては社会資本が充実している。
また、明日見学する「大和ミュージアム」で開かれている戦艦大和の最新の潜水調査(第3回)も呉市が独自に行っている。
呉市の財政は豊かなのか?国とのパイプが太いのか?色々考えてしまった。

ホテルでチェックインしたらそろそろ夕食の時間だ。
フロントで聞いた中華料理の店に向かった。
四川飯店は陳建一の店で東京・横浜に沢山の店舗がある。また、名古屋や博多など地方にもチエーン店があり呉店もその一つだった。
四川料理そして陳建一といえば麻婆豆腐なのでこれは外せない。そして、他に2,3品と生ビールを注文した。
この店の麻婆豆腐は相当辛いらしいので、店の人のはからいで麻婆豆腐は辛さを控えめにしてもらった。

辛さ控えめの麻婆豆腐に、店の人の薦めで山椒を少しかけたら、極上の麻婆豆腐に仕上がった。
麻婆豆腐はポピュラーな料理なので今まであちこちで食べてきたが、この店のものが一番おいしかった。
美味しい食べ物は人を幸せにすると言われるが、まさしくそのとおりであった。

翌日呉駅からすぐの大和ミュージアムに行った。

呉は明治時代以来戦前まで鎮守府が置かれた場所である。また戦前は呉海軍工廠において「戦艦大和」などが建造され、東洋一の軍港・日本一の工廠として知られていた。
「大和ミュージアム」はこの戦艦大和からとった名前であろう。
ミュージアムのなかは戦艦大和の1/10の模型やゼロ戦や人間魚雷回天やイ号潜水艦の模型その他魚雷や戦艦の主砲弾などが広い建物に所狭しと配置されていた。
そして、回天の傍には回天に乗り死んでいった若者の手記が添えられていた。
人間の尊厳を踏みにじる行為を犯した戦争指導者には改めて強い怒りを感じた。

また、当ミュージアムでは鹿児島県沖で沈没した戦艦大和の第3回潜水調査の資料が展示されていた。
大和は海底深く眠っており、かつ、巨大な鉄の塊だけに引き上げることは不可能だ。
その代り沈没した大和の船首部分の模型などが最新の3D技術を駆使して造られ陳列されていた。
爆撃で歪んだ、菊の紋章で飾られた船首部分は、巨大で見る者を圧倒する。

このミュージアムを見学してみて感じたことだが、このミュージアムは戦争に対する賛美や否定の自己主張はなく、見るものの判断に任せてあるように私には思えた。

私は勿論、戦争は二度と侵してはならないと思っている者の一人である。
また、このミュージアムを見学し、当時の日本の技術力が相当なハイレベルに達していたことを肌で感じた。

画像下段は海底に沈む大和の船首部分を3Dを駆使して再現した実物大の模型。
 

松山・宇和島・呉 3

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 9日(木)09時12分21秒
返信・引用
  宇和島

宇和島は今度で2度目だ。
1度目は20代後半の時に訪れたから、もう40年以上前になる。
あの時は神楽坂のトトさんと彼の職場関係の人達とご一緒したと記憶している。
時の経過は非情にも記憶を消してしまう。
当時は本州と四国を結ぶ橋は無かったので、当然船で渡ることになるが、どこからフェリーに乗り、四国のどこの港についたのかとんと記憶にない。
あまつさえ、目的地である宇和島の南、西海へは途中宇和島を通るので、市内のそれも宇和島のシンボルである宇和島城は車中からでも見ているはずであるが漆黒の闇の中に消し去られている。
かすかに覚えているのは、西海の民宿近くで泳いだりコッパグレを釣ったり、民宿の夕食にチヌやグレの煮つけが出てきて美味しく食べたことぐらいである。
尤も、若い頃は名所旧跡を訪ね歩くよりも、キャンプ地にテントを張って泳ぐなどより行動的なことをしていたと思う。

宇和島城は80mの丘の上に築城の名手藤堂高虎によって築かれ、天守閣は重要文化財に指定されている。
宇和島藩は仙台藩伊達正宗の流れをくむ伊達氏が藩主(城主)として明治維新まで封じてきた。
幕末の城主伊達宗城(むねなり)は幕末の名君として小説などにも登場する人物である。
お城の近くに立派な庭園があったので行って見た。
パンフレットによると、本園は1672年宇和島藩二代藩主宗利が造成した浜御殿の一部を七代藩主宗紀が大改造を行い1866年に「天赦園」と命名し竣工したとある。
1.1ha強の池泉廻遊式庭園で小都市宇和島には過ぎたるものに思えた。

ここでも、一風変わったエピソードを紹介する。

旅行前に友人の一人が調べてくれた観光案内には、和霊神社は「四国でも指折りの神社」「川には太鼓橋が架かり、石造りでは日本一の大きさといわれる大鳥居」などキャッチコピーが並んでいた。

地図を見るとお城から天赦園までの途中に和霊神社はあることになっている。
四つ角の和霊神社というバス停の傍にそこはあった。
成る程鳥居があり神社があった。
しかしながら、川に架かる太鼓橋はなく、鳥居や社も貧弱だ。社務所に聞いてみると、ぞんざいな態度で「それは川向こうにある」という返事であった。
近くに川はないし、狐につままれたような気分になったが、後程確認することにして天赦園に向かった。

天赦園を見学後「川向こう」という言葉を頼りに社務所の人が指し示した方角へ歩を進めた。
行けども行けども川らしきものは見えてこない。

私達はついに出発点の宇和島駅の近くまで来てしまった。
そのとき、ようやく駅の反対側に川があることが分かり、暫く歩くと大きな清流に架かる太鼓橋が見えてきた。立派な石造りの鳥居もある。太鼓橋を渡って立派な神社にたどり着いた。
境内で、お守り札を売っている神社の方に、「もう一つの和霊神社」のことを聞いてみたら、愛想よく「あちらは昔から神社関係者が住んでいるところです」という返事が返ってきた。
住まいであれば、家屋敷だけで良さそうなものを、わざわざ何故鳥居や社まで構えたんだろう。根掘り葉掘り聞くのも野暮だと思い、このことは聞かなかった。
 

松山・宇和島・呉 2

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 8日(水)14時24分37秒
返信・引用 編集済
  松山

坊ちゃん、子規、温泉に代表される松山は台風一過の秋晴れであった。

「松山や 秋より高き 天主閣」
子規のこの句が表す通り、青い空に堂々たる天主がそびえていた。

132mの小高い山の上に立つ30mの天主閣は、町のどこからでも見通せるまさしく松山のシンボルだ。

この城は漱石や子規や秋山兄弟が生きた時代より約300年古い、慶長7年(1602年)(関ヶ原の合戦の2年後)秀吉の子飼いで賤ヶ岳の7本槍で有名な加藤嘉明により築城された。

現在は江戸時代に再建された天守や城門、櫓など21棟が重要文化財に指定されている。天守はどっしりした構えの建物で、他の城の天守閣とは少し趣を異にするように感じられた。
また、城の石垣の組み方は素晴らしく、大坂城の石垣などを手がけた穴太衆の影響を受けているのではないかと思った(これは感じただけで確かめたわけではありません)。

今日は連休明けの11月7日火曜日である。
観光地の施設は無休のところもあるが、概して月曜か火曜を定休日にするところが多い。私たちは司馬遼太郎の日露戦争をテーマにした長編小説「坂の上の雲」ゆかりの資料を展示する「坂の上の雲ミュージアム」と「正岡子規記念館」を見学するつもりであったが、「正岡子規記念館」は定休日であった。

「坂の上の雲ミュージアム」は小説の主人公の秋山好古、秋山真之兄弟の資料や友人正岡子規の資料などが展示されていた。
膨大な資料となっていたが、安藤忠雄氏設計のミュージアムは安藤氏独特の設計のため、途中どこを通っているのか分からなくなりそうになった。

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は3人とも読んでいるので、3者3様の感じ方があったと思っている。

お城と坂の上の雲ミュージアムは松山の中心地、大街道(おおかいどう)の近くにある。繁華街大街道はアーケードのある商店街であるが、アーケードの高さや道路の広さは、私が今まで見てきたどこのアーケード街より広くて高かった。念のため東京の二人にも聞いてみたが、これだけの規模のものは見たことがないという感想だった。
おそらく日本有数のアーケード街だと思う。また、地方都市によくみられるシャッター街ではなく、シャッターが降りている店はなかった。

私達はタクシーで道後温泉に向かった。
ぼっちゃんで有名な道後温泉本館は観光客の人だかりができていて、本館の公衆浴場は芋の子を洗うようになっていると友人の一人が言ったので、近くの旅館で日帰り温泉を楽しんだ。さすがに名湯でいつまでもポカポカと暖かかった。

ここで、エピソードを紹介しよう。

友人の一人がロッカーの鍵を手にしていた。
何処のロッカーの鍵なのか聞いてみると、「昨年行った武雄温泉のロッカーの鍵」だと言うのである。
昨年彼は武雄温泉で脱衣所のロッカーの鍵を紛失し、鍵の交換費用を弁償させられている。
「どこから出てきた」のか聞いたら、鍵はなんと「二の腕の一番上の肩」で見つかったというのである。ゆるゆるのバンドが付いた鍵は服の摩擦で上に上がり、ついに肩まで達したのだ。
家に帰り服を脱いで初めて分かったそうだが、こういうこともあるとは驚いた。

もう一人の友人が教えてくれたが、これに似た現象で「ワイシャツを腕まくりして顔を洗ったら、まくったシャツが落ちてきて困ることがある」「この場合、ワイシャツを反対側に折り曲げたら決して落ちてこない」ということであった。
これから、長袖のシャツを着る機会が多くなるので良いことを聞いたと思っている。

帰りはちんちん電車(懐かしい)で大街道まで戻り、そこで、愛媛の名物料理「鯛めし」を食べた。
愛媛に来たら一度は食べてほしいと地元の人が言っていた。
私達は翌日の宇和島でも食べたので一度ならず2度までも鯛めしを食べたことになる。
「鯛めし」・・・卵を溶いた出汁の器に鯛の刺身とネギやワカメなど薬味を全て入れ、それをアツアツのご飯にかけて食べる。
豊後水道の鯛は古くから愛媛のご馳走になっているようだ。
 

松山・宇和島・呉

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 6日(月)22時00分27秒
返信・引用
  旅のはじめ

四国へは本州から3つのルートにより海に架かる橋を渡っていけるようになって久しい。東から順に、神戸舞子から淡路島を経由して鳴門へ、岡山児島から香川宇多津へそして通称しまなみ海道といわれる尾道から6つの島を経由して今治に至る3つのルートである。これらはそれぞれに特徴があるが、今回の旅行では神戸から松山まで鉄道1本で行くことが出来た。
つまり、新幹線で新神戸から岡山へ行き、岡山で松山行に乗り換えて松山まで行くことが出来るのである。
途中、先ほど紹介した橋のうち児島ー宇多津に架かる瀬戸大橋を利用するわけである。

私は過去3つのルートとも車を利用して四国に行ったことがあるが、鉄道利用は今回が初めてであった。
本州と四国を結ぶ鉄道は3つのうち鉄道併用の瀬戸大橋だけである。
電車で瀬戸内海を渡る場合は車と違い×印が並んだ所謂鉄橋と同じで、車窓からは鋼鉄の×印の間から瀬戸内の美しい景色を見ることが出来る。

ちょっと珍しい写真が撮れそうなので棚の上に置いたリュックからカメラを出そうと思ったが、電車の速度が速く、まもなく到着するのではないかと出さずにいたら、宇多津まで結構長くかかった。カメラを出すタイミングを逸してしまったのは残念であった。

四国では予讃線を通って松山まで行くことになるが、予讃線は単線であった。
四国随一の幹線鉄道が単線だとは驚きであった。
尤も単線独特の途中駅での待ち合わせがなかったのはラッキーであった。

松山駅で東京から飛行機で来た2人と合流した。
 

華栄の丘

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 5日(日)09時38分40秒
返信・引用
  宮城谷昌光氏の「華栄の丘」を読みました。
宮城谷氏の小説は「太公望」や「楽毅」や「孟嘗君」などの長編から読み始めましたので、中編小説で未読のものが残っています。
この小説はその一つです。

巻末に本のあらすじが書いてありましたので引用します。
ーー争いを好まず、あえて負けを選ぶことで真の勝ちを得る。
乱世にあって自らの信念を曲げることなく、詐術とは無縁のままに生き抜いた小国・宋の名宰相、華元。
名君文公を助け、ついには大国晋と楚の和睦を実現させた男の奇蹟の生涯を、さわやかに描く中国古代(春秋時代)の王朝譚。司馬遼太郎賞を受賞した名作。ーー

(宮城谷作品の特徴)
宮城谷氏の小説には随所に難しい漢字が出てきます。
例えば「慍然とする」「洞然となる」「豁然とする」「哂笑する」などです。
これらは顔の表情ですが、慣れたら読んでいて人物の豊かな表情が現れてきます。
 

表紙の写真

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 4日(土)14時46分38秒
返信・引用
  秋を代表する菊の花が鮮やかに咲いていますね。
シュウメイギクは京都北部の田舎、芹生の民宿で初めて見ました。
そのとき、「これは珍しい花です」と宿の人が言っていましたが、別名貴船菊ですよね。
 

やまとなでしこさん

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年11月 4日(土)14時40分4秒
返信・引用
  グレービーソースの解説有難うございます。
名前は知らなかったけど食べたことあります。

一昨日まで愛媛と広島を旅行していました。
雑事に追われて暫くばたばたしそうですが、旅行記を見てくれている方たちがいますので、なるべく早い機会に、忘れないうちに書こうと思っています。
 

グレービーソース

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年11月 3日(金)23時57分24秒
返信・引用
  一月前の関ヒマ様の質問に、少しお答えします。ローストビーフを焼くときにできる汁がグレービーソースです。お店により少しあじがちがいます。大きな皿にローストビーフとヨークシャープディングとマッシュポテト等にグレー
ビーソースが掛けられて出てきます。
パソコンはまだ修理中、携帯でお邪魔しました。
 

町会連合会定例会

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年11月 3日(金)00時23分37秒
返信・引用 編集済
  今日トトシカーナさんの代わりに町会連合会定例会に出席してきました。

町会連合会定例会とは知らずに、掲示物委託料の支払いがあるのでそれを貰ってくるだけだと思い行った
ところ、町会連合会定例会だったのです。そしてその定例会が終わるころに、「南榎町他5町会は、
この後危機管理課からの話があるので残ってください」と言われました。

何の話かと思ったら、東京都が実施した「地震に関する地域危険度測定調査」において地震の揺れによる
建物の倒壊や火災の危険性に、避難や消火活動の災害時における活動の困難さを考慮して指標にまとめた
総合的な危険度を示した「災害時活動困難度を考慮した総合危険度」を基準設定した対象地域になって
いるのです。

そこで感震ブレーカー等設置費用助成事業の説明を受けることになったのです。
一般所帯では設置費用の2/3(上限5万円)、非課税所帯では5/6(上限6万2千円)が助成されるのです。
分電盤タイプ(後付型)で費用は工事費を含んで2~4万円、コンセント型の費用は1ヶ所で5千~2万円
だそうです。

感震ブレーカーは、地震の揺れを感知し、震度5強以上の場合にブレーカーを遮断するもので、電気ストーブ
等による電気火災を防止するとともに、地震による停電復旧後の通電火災の防止にも有効。
平成29年度の助成件数は90件だそうです。
南榎町だけでも320所帯ぐらいあるので、90件では到底足りないですね。

15日午後7時から消防署の会議室で住民説明会が行われます。
 

KAI様へ

 投稿者:トト  投稿日:2017年10月29日(日)12時11分46秒
返信・引用
  愈々冬になりそうです。
お元気でお過ごしの御様子、嬉しく思います。

久々の女性に対するKAIさんの優しい気持ちと憧れの御表明、これまた素晴らしいと思います。

さて今冬に備え、ダウンの半コートを手に入れました。昨年までは、ダウンの作業着のようなものを常用していたのですが、
袖口がほころびてきて、新調したのです。

ダウンを手に入れる前までは、各種のオーバーコートを着ていたのですが、ダウンにするともうオーバー等は寒くて着れません。
新調するとこれまたうれしくて、早く寒くならないかと思っています。

こんな気持ちを良くいく麻雀やの若い店主【40歳ぐらい】に話すと、私もそうで、先日雨用の長靴を買ったらほんの一寸の小雨でも
嬉しくなって履いていきました、コートならなおさらそうでしょう、と共感してくれました。

最近、麻雀を良くやっています。先週は三日もやり、昨日の土曜日もお昼からやっていました。
最近は友人たちも歳をとり、酒を飲まなくなり、仕事もやめているので時間を持て余しているようです。

麻雀屋は神楽坂にあり、都内では最も安い部類に入るようです。そこで私たちは大変便利で、重宝しています。
仲間たちはそれぞれ、千葉や北区、世田谷に住んでおり、全員のちょうど真ん中のようで、誰も不平を言いません。

明日も5時まで仕事を五反野駅の近くでして、夜は麻雀です。

さてさて書いているうちに本題の女性のことは忘れて、麻雀になってしまいました。
触るのは麻雀のパイぐらいになってしまいました。

此れではいかんと猛反省しています。

皆様はいかがでしょうか。
 

女性の優しさ

 投稿者:kai  投稿日:2017年10月29日(日)11時50分46秒
返信・引用
  今年は快適な気温の秋がなく、暑い季節から寒い季節へワープしてしまいまし
たが、皆様如何お過ごしでしょうか?政界でも女性上位が目立っていましたが、
次の様なほっとする女性の投稿文を見つけました。これは、食べられるクリの話
です。

 私がクリを剥いていると、20歳になる娘がやってきた。娘に「クリ食べる?」と聞
くと、「うん、剥いてくれたら食べる。」と言う。失礼な言い方だと思ったが、一生懸
命皮を剥いた。すると、娘はペロッと全部平らげてしまった。
 私と娘の関係で言えば、私はしてあげるだけで、してもらった事がない。しかし、
思い出してみると、私と私の母との関係もそうであった。私がしてあげなければと
思った時、母は他界してしまった。だから、娘も私には何もしてくれなくて良い。自
分の子供にしてやればそれで良い。


 私はこの文を読んで、改めて、日本女性の優しさに心うたれました。そして、こ
の優しさで亭主族にも接して頂けたら、世の中、平和だろうなあと思いました。

 

戦国名臣列伝

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月27日(金)12時43分49秒
返信・引用
  宮城谷昌光氏の「戦国名臣列伝」を読みました。

9年前に刊行された本ですがまだ読んでいなかったので読んでみました。
戦国といっても日本の戦国時代ではなくて中国の戦国時代です。
中国の戦国時代は紀元前473年から221年(斉が秦に滅ぼされる)までとなっています。
(この頃の日本は弥生時代で土器などは発掘されていますが、文字がなかったのでどのような国(?)であったのかは不明です)

中国の戦国時代は秦、魏、韓、趙、楚、燕、斉に分かれていました。(小さな国まで入れると15か国ほどに分かれていたそうで、まさに群雄割拠の時代です)
因みに魏・韓・趙は春秋時代は晋という大国でこれが3つに分かれました。

燕の楽毅や斉の孟嘗君や秦の白起・呂不韋などが活躍した時代です。

宮城谷氏は司馬遷の史記などに出てくるこれらの国の名臣を紹介しています。
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年10月26日(木)22時09分9秒
返信・引用
  私のパソコンは 私の言うことを聞かなくなりましたので主人のパソコンでお邪魔しています。
トトサマありがとうございます。
蝶は蛹で越冬しますので 私は何もしなくていいのです。来春注意してみてるだけです。
しばらく木霊にお邪魔できないのがさびしいです。修理に出します。
 

黒あげは越冬

 投稿者:トト  投稿日:2017年10月26日(木)08時30分54秒
返信・引用
  越冬させるにはご苦労がおありでしょうねえ!
蝶々の食料は花の蜜なんだろうと思いますが、蜂蜜を少し薄めて飲ませるのですか?

しかしそれを一体全体どうして蝶々に教えるのか、全く見当がつきません。
不思議ですねえ。
 

黒あげは

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年10月25日(水)17時44分50秒
返信・引用
  こんにちわ!昨晩羽化した、今年最後の黒あげはです。
寒くて、雨なので明日外に出してあげます。
この冬家の中で越冬するのは、ながさきあげは一匹と黒あげは一匹です。
 

神楽坂ご夫婦

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月25日(水)07時32分9秒
返信・引用
  ジムに参加されている方で「木霊」を見ている方がいらっしゃいます。

その方がおっしゃるには、神楽坂のご夫婦は「ほほえましい」ということでした。
ご主人の「夫婦の会話」や奥様の「亭主の悪口」などは夫婦生活によくある個性の衝突を「木霊」を通して発散し、ストレス解消を図っていらっしゃるのでは?ということでした。

なかなかうがった見方だと思いました。
 

台風21号

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月22日(日)12時16分0秒
返信・引用
  先ほどから雨脚が強くなり、風も吹き出しました。
並みの台風ではなさそうです。
台風の進路にあたっている場所に住んでいる方は注意が必要です。
 

ひまじんさんの強夫論

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月21日(土)11時07分50秒
返信・引用 編集済
  ひまじんさんの投稿を面白く拝見させていただきました。

いわゆる頑固おやじという輩は明治時代には当たり前に多かったのではないでしょうか。
そういう時代は妻も夫とはこんなものだと思って生きていたと思います。

ところが、今は時代が下り平成の御世(もうすぐ元号も変わろうとしています)、明治の気骨を受け継いでいる少数派にはちょっぴり羨望の気持ちも働きますが、なによりそれに順応されている奥様には敬意を表するとともに畏敬の念すら覚えます。

旦那様が入院(何の病気か知りませんが大病?)されたとき、6時間も病室に居られたとは、世の女性の鑑以外のなにものでもありません。
 

強父論

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年10月21日(土)10時07分26秒
返信・引用 編集済
  阿川佐和子さんの「強父論」を読みました。

トトシカーナさんも読んで言っていましたが、阿川弘之さんとトトシカーナさんは、色々と共通点がありました。

例えば、不味いものを食べたときには、「あと死ぬまで限られた回数しか食事できないのに、これで一食、
損をした」
トトシカーナさんも同じようなことを言っていました。

阿川さんは70才前だったようですが、トトシカーナさんは、65才過ぎたときに「これからは我慢するのを止める」と
言ったのです。
佐和子さんもそうですが、私も「今まで我慢してたつもりなの?」という感想でした。

晩年の3年位老人病院に入院された時、奥様に「いっそお前もここに入院したらどうだ」と言われたそうです。
トトシカーナさんも入院した時、毎日用事のある時は午前中から、特別用事の無い時は午後1時から
7時まで病室にいました。入院したらとは言われませんでしたが。

阿川さんが書斎から居間に来た時にテレビを見ていると、「消しなさい」と言われたそうです。
トトシカーナさんも、台所に入ってきたときにラジオを聴いていると「うるさいから切ってくれ」と言います。
小さな音で聴いているにも関わらずです。

佐和子さんが小さいころ、兄弟で書斎の隣で静かにしていると、書斎の戸を開けて「うるさい」と言われ、
何もしゃべっていなかったのに「そこにいるという気配がうるさい」と言われ母親に手を引かれて
兄弟で外に行ったそうです。

本当に佐和子さんも奥様も毎日大変だったと思いました。
 

脳トレ 熟語パズル

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年10月20日(金)18時57分49秒
返信・引用
  一人で考えて居ます。
今日は、トトシカーナさんは会社に行っていましたので、まだ帰っていませんでした。
 

脳トレ 熟語パズル

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月20日(金)18時03分54秒
返信・引用
  ジムから帰ってきて、いま答えを見ましたが、ひまじんさん全問正解です。

素晴らしい!脳が若いですね。
私は②の旗が出てきませんでした。

ひまじんさんは一人で考えているんですか?
 

脳トレ 熟語パズル

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年10月20日(金)16時54分50秒
返信・引用
  ① 手形 固形 形相 形式

② 反旗 国旗 旗色 旗本
 

脳トレ 熟語パズル

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月20日(金)09時10分56秒
返信・引用
  問 □には同じ漢字が入ります。熟語を完成してください。

① 手□、固□、□相、□式

② 反□、国□、□色、□本

(例)登□、裏□、□道、□上  (答え)□には山が入ります。
 

秋高馬肥

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月18日(水)14時34分18秒
返信・引用
  私は毎日タニタの体重計で体調をチェックしていますが、最近体重が上がり気味です。
秋は実りの秋。
お米、サツマイモなど炭水化物が美味しい季節です。
炭水化物は美味しいだけに注意しないとたちまち太ってしまいますね。
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年10月18日(水)10時44分49秒
返信・引用
  焼き芋にバターをぬって食べるのが好きだけど、体重が増えるので、、、、うちのクロ柴(犬)のメスも焼き芋が大好きです。体重が増えるので沢山はあげられません。  

秋の長雨

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月16日(月)16時53分3秒
返信・引用
  本当に寒いですね。
ジムではレッスンの後、施設内の準温泉に入って帰宅していますが、これだけ寒くては湯冷めしそうです。
そこで、買い置きのサツマイモを電子レンジで焼き芋にして食べました。
鍋もよいけど、焼き芋も体が暖まりますよ。
 

影裏

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月16日(月)16時38分44秒
返信・引用
  沼田真佑氏の「影裏」を読みました。
沼田氏はこの作品で文学会新人賞を受賞し文壇にデビューし、また、同作品で今年の芥川賞も受賞しました。

作品は東日本大震災を舞台にした短編ですが、良く練れた作品で、芥川賞受賞作に相応しく文章もさすがに光っています。

小生の独断と偏見をお許し願えるなら、小説自体の面白みでは、直木賞受賞作に一歩譲るかもしれないですね。
 

(無題)

 投稿者:やまとなでしこ  投稿日:2017年10月16日(月)15時08分53秒
返信・引用
  こんなに寒いと 鍋料理を食べたくなります。洗濯物は乾かないし。  

歓楽街の誘蛾灯

 投稿者:トト  投稿日:2017年10月16日(月)08時26分26秒
返信・引用
  ありました、ありました。歓楽街の誘蛾灯、東京では歌舞伎町、大阪では南、その他の都市でも必ずありました。今思えば、何と思慮浅い事だったかと反省しますが、しかし、あれも人生の素晴らしい一コマでありました。

ところで、あの時出会った夜のちょうちょたち、今は如何しているのでしょうか。
 

LEDと誘蛾灯

 投稿者:パウロ  投稿日:2017年10月15日(日)19時53分21秒
返信・引用
  いつものことで思いつきで投稿します。最近電球や蛍光灯がLEDに変わっているそうで、

電球は製造中止にもなりそうです。以前地方のコンビニに立ち寄ったところ外のガラスに無数の虫がへばりついていました。

その後立ち寄ったそのコンビニに虫はいませんでした。訳は照明をLEDに替えたのです。LEDは虫を寄せ付けないそうです。

昔、二次会と称し歓楽街によく行きました。優蛾?な女性がイッパイいました。赤い灯青い灯に引き寄せられるように馬鹿な散財をしたものでした。

昔田舎の田んぼに誘蛾灯がありニカメイチュウが下の油が入った受け皿に佃煮にしていい方ほど落ちてました。私も歓楽街のニカメイチュウだったのでした。

今歓楽街の灯りはLEDでしょうか?もう迂闊に近づきませんが、そういう昔がありましたね……!!

 

london focus…Londonから東京へ

 投稿者:kikiメール  投稿日:2017年10月14日(土)20時49分9秒
返信・引用
  列車旅行、実現なるか?  ……… インデイペンデント紙日本関連ニュースから

Londonから東京までの8400マイル (約13518キロ)をシベリヤ鉄道経由でつなぐ夢のようなプロジェクトをウラジヲストックで開かれていた東方経済フォーラムでロシア政府が発表した事を英インデイペンデント紙が報じています。
この計画は、日本からロシア間の日本海を跨ぐ長さ 約45キロに及ぶ橋の建設計画も
含まれており第二次世界大戦後の両国の歴史問題にもからめ  「   歴史を横断する橋   」とも表現された。
日本とサハリン間がつながることは  長年の夢だ………と環境問題担当のセルゲイ・イワノフ氏は
語り天然資源輸送にも貢献すると期待を膨らませている。

もしこの計画が実現された場合、London初東京行きの列車にのると………ドイツ、ポーランドを含む旧東欧   ロシアなどを通過し、車窓からは変化に富んだ景観を眺めることが出来るようになる。
今後の動向がきになるところだ。  と報じています。
KIKI
  車窓から景観を楽しみたい!

http://8910.teacup,com

 

介子推

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月14日(土)14時42分59秒
返信・引用 編集済
  宮城谷昌光氏の「介子推」を読みました。

宮城谷氏は古代中国を題材とした小説の第一人者です。
なかでも、春秋・戦国時代の著作が多く傑作が揃っています。

「介子推」は春秋時代の覇者、晋の重耳を扱った長編小説「重耳」の中に登場する人物で す。
氏は「春秋左氏伝」や「史記」を参考にし、またそれにない所は想像力を駆使して壮大な小説に仕上てています。
今回の「介子推」は一度書いた小説「重耳」の中に脇役として出てくる人物にスポットライトを当てて小説化している珍しいケースです。
介子推は宮城谷氏にとっては特別に魅力のある人物だったことがうかがい知れます。

「介子推」がどういう小説なのかについては、彼が仕えた重耳のことを知らなければなりません。そのことについて巻末に中国文学専攻の井波律子教授が解説されているので一部引用します。

ーー権力悪を潔癖に否定し、あくまで純粋性の化身として凛冽に生きた介子推は、宮城谷氏の物語世界に登場する、数多くの魅力あふれる主人公の中でも、きわだってユニークな存在である。

著者は本書に先立ち、大作「重耳」において、春秋時代長期にわたる亡命の果てに君主の坐につき、ついに覇者となった重耳、すなわち晋の文公(前697?~前628)の劇的な生涯を、壮大なスケールで描いた。

重耳は晋の献公と狄の大族狐氏の姫の間に生まれた公子であった。
献公には大勢の息子があったが、やがて美貌の寵姫驪姫に溺れ、彼女の生んだ年少の息子けい斉を後継の座につけようとしたことから、晋は混乱の度を深める。

すでに太子に立てられていた重耳の異母兄申生が、驪姫の陰謀によって自殺に追い込まれたあと、公子たちの間で傑出した存在だった重耳と夷吾(重耳の母の妹の子)は、それぞれ領地に逃げ込み、ひとまず危機を脱する。

しかし、重耳は驪姫が差し向けた宦官上がりの凄腕テロリスト閹楚に、すんでのところで殺されそうになり、ついに亡命を決意する。ときに43歳。
中年の身でありながら、母の故郷狄に身を寄せた落魄の公子重耳の唯一の支えは、趙衰・狐偃(咎犯)・先軫ら有能にして誠実無比の臣下グループが、地獄の果てまで行を共にしてくれることだった。

重耳主従が狄で過ごした12年の間に、晋では献公の死後、内乱がおこって、驪姫母子は殺害され、狡猾な異母弟の夷吾が機敏に立ち回って、君主の座についた。

この夷吾すなわち晋の恵公は、狄でそれなりに充実した日々を送っていた重耳の存在に神経をとがらせ、閹楚をリーダーとする暗殺団を差し向ける。

これを機に、重耳主従は狄を離れ、筆舌に尽くしがたい辛酸を嘗めつつ流浪の旅を重ね、ようやく春秋五覇の一人、斉の桓公のもとに身を寄せる。
桓公に厚遇され、その娘を妻にするなど、斉の生活は重耳にとってすこぶる快適であった。

二年後、桓公が死去すると、重耳の臣下グループはなかば強制的に、環境に順応しやすい重耳の重い腰をあげさせ、諸国を経由して晋に向かわせた。

この帰国の旅の途次、恵公が死去したため、重耳は西の大国秦のバックアップを受け、軍勢を率いて晋に入り、恵公の後継者の息子を追い落として、ついに晋の支配権を手中におさめる。

驪姫に追われて国外に脱出、狄から斉へと19年に及ぶ亡命生活を経て、ようやく晋の君主の座についたこのとき、重耳はすでに62歳になっていた。(以下省略)ーー
 

年年歳歳花相似たり

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年10月13日(金)13時21分20秒
返信・引用
  小さくてかわいい花が多いですね。  

年年歳歳花相似たり

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月13日(金)07時36分45秒
返信・引用 編集済
  年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず

人の世は半世紀たつと変わりますね。
政治の世界では右傾化が目立ちます。
これは世界的な傾向のようですね。

下の2つの花は初登場です。上カラミンサ 下ショウジョウソウ
 

年年歳歳花相似たり

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年10月12日(木)21時55分24秒
返信・引用
  トレニアは初めてですね。
朝顔のような感じですね。
 

年年歳歳花相似たり

 投稿者:関ヒマ  投稿日:2017年10月12日(木)09時50分21秒
返信・引用
  ホトトギス、トレニア、ヒイラギ木犀  

ICAN平和賞受賞

 投稿者:パウロ  投稿日:2017年10月11日(水)18時29分2秒
返信・引用
  NGOの川崎哲氏(カワサキアキラ)は核廃絶運動を推進している方です。

川崎氏、トルーマン大統領の孫とあるシンポジウムを聴く機会がありました。

孤軍奮闘ですが信念を堅持した立派な方です。
 

/323